「(新聞社内の認識が)デジタル社会になりつつあるというのは間違っている。我々はすでにデジタル社会にいるのだ。いや、それすら時代遅れの言い方だ。我々はモバイル社会にいるのだ」

「だから、新聞の1面記事が他より大事で価値があり、ウェブに載ってるより高級だなんて未だに編集局内にある常識を捨て去ろうじゃないか」「新聞はいつだって変化に抵抗し、ネットにも乗り遅れた」「新聞社はテクノロジー企業になるしかない」

先週7日夜、こんな過激な表現で、新聞のデジタル化促進の決意を語ったのはニューヨーク・タイムズと並ぶ名門紙ワシントン・ポストのマーティン・バロン(Martin Baron)編集主幹です。

カリフォルニア大学リバーサイド校での講演の模様は、ポスト自身のサイトにビデオとトランスクリプトがアップされています。日本の新聞社の最高幹部からは多分出てこないだろう熱弁は、米国の新聞幹部の思いを知る上でとても興味深いので、備忘録を兼ねて、かいつまんでご紹介します。

(うまく再生できない場合は、こちらから)

バロン氏は、まず「39年の職業経験で、とても大きな興奮と不安の両方に出会っている」と語り出します。興奮はジャーナリズムを根底から考え直させられつつあるから。不安は伝統的な経済モデルが崩壊させられつつあるから。

その一例は、(自身がかって編集主幹をしていた)ボストン・グローブの2002年の調査報道で暴露したボストン大司教とカソリック教会の性的虐待事件。かってなら地元での話題でとどまっていたかも知れなかったが、すぐさま世界中の市民に広がって改革を促した。まさにネットの力だった。力は情報の消費者に移ったのだ。

しかし、皮肉なことに、ネットは、世界的な共感を呼んだスクープの作業、調査報道をサポートする経済モデルを一方で破壊している。広告収入の減少という形で。

技術の波が私たちの基盤を侵食し、ジャーナリズムを脅かしている。生き残るには迅速に移動しなければならない。それを私はBig Moveと呼んでいる。

高速ブロードバンドで、2004,5年から様々な変化が加速した。グーグルは2004年に上場され、その年フェースブックが生まれ、翌年にYouTubeが、06年にTwitterが誕生した。iPhoneは07年、instagramは09年、iPadは10年、Snapchatは11年に登場という具合。

私たちは住み慣れた家を離れ、別の土地に移動している。新たな場所の隣人は若く、機敏で、私たちの不安を気にかけない。別の言葉を話す。彼らは、我々がどこから来たか、以前何をしていたかに興味がなく軽蔑さえする。我々は移民だ。彼らは先住民だ。彼らに土地のことを学ばねばならない。

今日、紙の新聞は主たる収入源として残っている。しかし、それが生み出す収益は減少し、広告主は離れつつある。殆どの読者はデジタルソースから情報を得るのを優先している。この傾向は加速している。

つまり、デジタル社会になりつつあるというのは間違っている。我々はデジタル時代にいる。そういう言い方も時代遅れだ。我々はモバイル時代にいる。2020年には地球上の大人の80%がスマホを所有すると見られるのだから。

だから、新聞の1面記事が他の面の記事より大事で価値があり、ウェブに載ってるより高級だなんて未だに編集局内にある常識を捨て去ろうじゃないか。

ただ、それが大事じゃない、ということではないことは明確にしておく。それは我々が世界で見たものの価値観の表明であり、その定義、具体的プレゼンだからだ。我々は一面をスマートに、周到で創造的なものにしたい。

編集局が、販売、広告というビジネスサイドから独立して仕事が出来るという考えも捨てようじゃないかというのは、だめだ。それは出来ない。

編集局とビジネスサイドとの壁については何十年も語られてきたが、その目的は理解できるものだし、称賛に値するものだ。広告主は報道に影響を及ぼすべきではない。政治家がそうすべきでない以上に。報道は独立しているべきだ。我々の信頼は危機に瀕している。信用こそ我々の通貨だ。

しかし、編集局とビジネスサイドの隔たりが無知を育んだ。編集局スタッフは会社がいかにカネを稼いでいるか決して理解しなかった。気にもしなかった。ビジネスサイドでも編集局を理解していなかった。

今日、それが問題だ。記者は請求書でどう支払われるか、取材費のカネがどうなっているかを知っておく必要がある。

広告主は潜在的な顧客に繋がる革新的で測定可能な、そして効果的な方法を探している。

独立性と公正な報道という原則を放棄することなく、編集局は広告主にアピールし、読者を増やし、双方に満足のいく結果を出すことに加わらなければならない。

ワシントン・ポストにとって、イノベーションは第一の課題であり、核心的な課題だ。今、47人のエンジニアがジャーナリストと緊密に連携して仕事をしているが、4年前は4人に過ぎなかった。1年以内に新オフィスに移るが、そこではエンジニア全員が編集局に配属され、ジャーナリストと並んで作業することになる。

ウェブはラジオ、テレビとも異なるstory tellingの手法を有する媒体であり、さらにモバイルには独自の明確なアプローチが必要だ。昨年100人を採用、70人の純増となったが、直感的にウェブを理解できるジャーナリストを採用している。こうしたジャーナリストが書いて、編集したものがデジタル読者の共感を得るからだ。

新聞社内では、変化についてはいつも抵抗があった。タイプライターからPCになったときの不平、グラフィックの採用には「レベルを下げる」、カラー化には「軽薄だ」。そしてインターネットにも出遅れた。

ジャーナリストは新たな会社を立ち上げたりベンチャー企業で働くだろう。一方で大きな組織で、組織を作り変える起業家になるべきだ。だれであれ、立場にかかわりなくリーダーになることだ。

デジタル時代は我々がテクノロジー企業にならなければならないことを意味する。もはや、最先端の人のあとを遠く離れてついていくなんてことは出来ない。追いつたら、他はもっと素晴らしいことになっているからだ。

デジタルへのBig Moveを作るため、より多くの技術者を獲得することだ。編集局でも技術に精通した人を採用すべきで、慣れていない全員にトレーニングを施す必要がある。

テクノロジーは我々が行う全てのことを測定する能力を与える。書かれた記事がどのくらい、どのように読まれ、その記事を読んだ読者は次にどうしたか、などなど。

あまりに長い間、紙の新聞では、「多分、多くの読者が我々の記事を読むだろう」と勝手に見なしているだけだった。測定方法がなかったから。しかし、今は豊富にあり、オンライン読者を増やすためには不可欠だ。

とはいえ、我々にはon the sceneの記事が必要だ。現場に行って、見て、インタビューしなければならない。オフィスを離れなければ世界を報じることは出来ない。ワシントン・ポストを差別化しているのは野心的、先駆的、オリジナルな記事だ。それらはしばしば市民の議論と公共政策への重大なテーマを最近もいくつも提示してきた。

我々に課せられたデジタルの挑戦は、1791年の権利章典が批准されたことに比べれば小さいことかも知れない。我々プレスとすべての市民に与えられた「自由」を守っていくこと。それはどんな時代であっても変わらないことを約束する。

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以上、駆け足でバロン主幹の講演で興味を惹かれた部分を中心に紹介しました。日本の新聞社幹部のスピーチで覚えているのは、慰安婦報道などで引責辞任した朝日の木村社長がMITメディア・ラボとのシンポジウムでの冒頭挨拶でした。舞台を歩き回ってデジタルへの姿勢を強調したのが新鮮でした。

バロン氏は歩き回りませんでしたが、デジタル化への決意は木村氏より大きく踏み込んでいます。これも、アマゾンのベゾス氏の買収によって、資金的な不安がなくなっているせいでしょうか。そして、ベゾス流が浸透してきたということでもあるのでしょうか。