このブログに最も多く登場しているのは、おそらくウィキリークスの創設者ジュリアン・アサンジ氏です。今、ブログ内検索をしたら27件もヒットしました。
その最初は2010年8月の「奇々怪々 ウィキリークスリーダー強姦容疑」でした。講演のため訪れたスウェーデンで、二人の女性が「暴行された」と訴え出て、裁判所の令状もないのにアサンジ氏が指名手配され、すぐに撤回されたという事件。その裏には、ウィキリークスが更なる機密書類を暴露するのではないかと恐れた米国の意向が匂う、というものでした。
アサンジ氏はその年11月に英国に出国しますが、スウェーデンは、再び暴行容疑で氏を引き渡すように英国に求めます。英国の裁判所はこれを認め、翌年5月に最高裁でも同じ結論となったので、アサンジ氏は、ロンドンのエクアドル大使館に駆け込みます。スウェーデンに戻されたら、次にはスパイ罪などを言い立てる米国への移送が待っているという危機感からでした。
当時のエクアドル政府はアサンジ氏に好意的で、すぐに政治亡命を認めますが、英国政府はエクアドル大使館前に多数の警官を24時間、配置し、氏が一歩でも外に出たら逮捕する構えをとります。籠の鳥状態が7年に及び、エクアドル政府も政権交代したことで、アサンジ氏の逮捕を認める姿勢に転じ、2019年4月についに逮捕され、米国は自国への移送を申し立てます。この間、スウェーデン捜査当局は「暴行事件」の捜査を取り下げています。
その一審で、女性のバネッサ・バライツァー判事は、「米国の厳格な刑務所に収容されれば、精神的に弱っているアサンジ 氏は自殺しかねない」として米国の要求を拒む判決を出しました。それが今年1月のこと。
支援者らは、これでアサンジ氏は晴れてシャバに戻れると保釈を期待したのですが、判事は「公正さのためには、米国は私の決定に異議申し立てをすることが認められるべきで、万一、保釈中にアサンジ 氏が逃亡したら、その機会が失われる」として認めませんでした。なので、アサンジ氏は元のベルマーシュ刑務所に戻されたまま、ということです。
米国は当然のように上訴したはずですが、なぜか、最近になって高等裁判所が米国に「上訴する許可を与えた」とアサンジ氏の母国・豪州の新聞が伝えています。上訴する期間は通常、判決後14日間なのにこれも不思議なことです。そして、裁判開始時期も未定だと。
奇々怪々で始まったアサンジ氏を巡る事件、もう11年も経ち、依然として不可解な展開です。おそらく「政治」が絡んでのことでしょう。私が、関心を持ち続けているのは、どのような手段にしろ、入手した重要な情報を公開することで、国家が「犯罪だ」と認定すれば、アサンジ氏のような悲惨な運命がどのジャーナリストにも降りかかりかねない、という思いからです。
2019年10月に発足した多国籍NGO、Doctors for Assangeは今月7日に、バイデン大統領に宛てた公開書簡で、「アサンジ氏は10年以上に亘る心理的拷問により、命を脅かす深刻な影響を受け続けている」とした上で、こう述べています。
<バイデン政権がアサンジ氏の追い続けていることは、報道の自由、市民的自由、人権に対する米国の公約の正当性に疑問を投げかけるものです。世界中のグループが、出版活動に対する前例のない犯罪行為が、世界中のジャーナリストと言論の自由を脅かすものであると警告しています>
<私たちは、法の支配、人権、報道の自由に対する甚だしい侵害を構成する本件について、上告およびすべての告発を取り下げることを強く求めます。そうしなければ、私たちの民主主義の基盤に恒久的かつ壊滅的な影響を与える前例となり、国際社会における米国の評判は取り返しのつかないほど損なわれてしまいます>
アサンジ氏には、エクアドル大使館、籠の鳥時代に知り合ったステラ モリス スミスさんという婚約者がいます。人権派弁護士で、二人の間には二人の幼児もいます。そのステラさんとジュリアンの父親ジョン シプトンさんらの近親者によるドキュメンタリー「Ithaka」が8月5日からのメルボルン国際映画祭で初公開されるそうですが、その監督Ben Lawrence氏もその狙いをこう言っています。
<情報の自由、説明責任、国民の知る権利といった問題を世界に思い起こさせようとする。彼(アサンジ)がしたことを私たちはどう感じるのか。彼にされたことを私たちはどう感じるのか。それは妥当なことなのか>
アサンジ氏は、この3日、50歳の誕生日をベルマーシュ監獄の中で迎えました。多くの人々が声援を送っています。それが、彼が耐えられる源かもしれません。
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