米国を中心に、量子コンピュータへの投資がここに来て急増している。
米国の調査会社PitchBank Dataによれば、世界の量子コンピュータ企業に注がれた投資額は今年1~7月の間で7億ドル(700億円以上)を超えた。今から2年前の2019年には2億8,830万ドル(290億円以上)、2020年には7億7,900万ドル(780億円以上)と年を追うごとに勢いを増してきた。そして今年は前半を少し過ぎた時点で、昨年1年分とほぼ同額に達したことになる。
直近では今年7月、量子コンピュータの開発を手掛ける米国のスタートアップ企業PsiQuantumが投資ファンド等から4億5,000万ドル(450億円以上)を調達。それに先立つ5月には、同じく米スタートアップのXnadu(図1)が1億ドル(100億円以上)を調達している。
さらにその前の3月には、同じく米国のIonQという量子開発スタートアップが投資業界で最近流行りのSPAC(特別買収目的会社)、つまり空箱上場企業に故意に買収される手法によって、総額20億ドル(2,000億円以上)もの資金調達に乗り出した。これがSEC(米証券取引委員会)とSPAC株主らから承認されれば、今年、量子コンピュータ企業への投資総額は恐らく30億ドル(3,000億円以上)を超えることになるだろう。
ここ数年、各種メディアによる盛んな報道をはじめ量子コンピュータへの注目と期待が急速に高まっていることを考えれば、この分野に投資が集まることは当然かもしれない。が、他方で、この「夢の次世代コンピュータ」が極めて難解かつ不可思議な量子力学をベースに設計され、その実現可能性も不確かな現状において、これだけ巨額の投資が注がれるのは不可解でもある。
以下、本稿に始まる連載コラムでは、その背景や理由について紹介ならびに若干の考察を試みたい。
量子コンピュータとは何か
そもそも量子コンピュータとは、現代物理学の根幹を為す量子力学を「計算の」原理とする次世代の超高速コンピュータである。敢えて「計算の」と断ったのは、私達が普段使っているパソコンから上はスーパー・コンピュータに至るまで既存のコンピュータも、それらに搭載されるCPUやメモリの半導体チップなど素子(部品)レベルでは量子力学が使われているからだ。
しかし、それをもって現在広く使われているコンピュータを量子コンピュータと呼ぶことはできない。繰り返すが、量子コンピュータとはあくまで、それが行う計算の原理として量子力学を採用した次世代の計算機のことである。
19世紀末から20世紀初頭にかけて欧州を中心に勃興し、確立された量子力学は、この世界にある諸々の物体を構成する「原子」やその内部構造の「原子核」、さらに「電子」などの素粒子、つまりミクロ世界の現象を説明する物理学だ。これをベースとする固体物理学や半導体工学によって、20世紀後半からトランジスタを始めとする電子工学が発達し、その後のエレクトロニクス産業や現在のIT産業の誕生を促した。この点で量子力学は、現代文明社会の礎と言うこともできる。
1981年、世界的に有名な物理学者である米国のリチャード・ファインマン博士(故人、1965年に日本の朝永振一郎博士らと共に量子電磁力学の功績でノーベル賞を受賞)が、量子力学とコンピュータに関する講演の中で「自然のシミュレーションを行うには量子力学的に実現すべきだ(if you want to make a simulation of nature, you’d better make it quantum mechanical)」と述べた。実際に「量子コンピュータ(quantum computer)」という言葉を使ったわけではないが、一般にファインマン博士のこの発言が世界で初めて量子コンピュータの意義と実現可能性を示唆したものと見られている。
その後、英国のデイヴィッド・ドイッチュ博士をはじめ先駆的な物理学者らが、量子コンピューティングを実現するための具体的な方式を幾つか提案した。いずれも「量子並列性(quantum parallelism)」と呼ばれるミクロ世界の不可思議な現象を、超高速計算の理論へと応用したものだ。
KDDI総合研究所リサーチフェロー 小林 雅一