研究員がひも解く未来

研究員コラム

根拠の薄い話が好き

「根拠の薄い話が好き」と言ったら、大抵良くない意味に捉えられる。少なくとも、科学の世界では。

エビデンスレベル

科学の世界において「根拠が薄い」と言えば、エビデンスレベルが低いことを意味し、信用できない、再現性がない、今後の研究によって見解が大きく変わる可能性がある、といったニュアンスを持つ。

根拠の強弱を整理する枠組みとして、エビデンスピラミッドもよく用いられる。エビデンスピラミッドとは、研究デザインを結果の一般化のしやすさやバイアスの受けにくさといった観点から、階層的に整理したものだ。ピラミッドの上に行くほど信頼性が高いとされ、系統的レビューやメタ分析がその代表例に挙げられる。一方で、最下層に位置する事例研究や専門家の意見は、エビデンスレベルが低いとされている。

図 エビデンスピラミッド
出典: ”The evidence from cross-sectional studies is weaker than evidence from most other study designs.” ,The Logic Of Science, CC BY-SA 4.0 , via Wikimedia Commons

普段、エビデンスに関わる仕事をしている筆者自身も、論文を読む際には、その研究がエビデンスピラミッドのどこに位置づけられるのかを意識しながら、「研究デザインに限界がある」「因果と相関は違う」などなど、批判的に吟味している。

根拠のある話

エビデンスレベルの高い論文は、ある課題に対して現状の最適解を教えてくれる。例えば、「1日の歩数と健康アウトカム」に関する系統的レビュー・メタ分析[1]を見てみると、50以上の一次研究のデータをもとに、歩数と全死亡、心血管疾患、がん、糖尿病などの幅広い健康指標との関係が示されている。結果を見ると、「2000歩/日と比べて7000歩/日では全死亡リスクが約半分になる」「多くのアウトカムで、7000歩/日前後から改善効果の上積みが小さくなる」といった具合に、根拠を与えてくれる。こういったエビデンスは、「どれくらい歩けば良いですか?」と聞かれた際の根拠として、とても頼もしい。根拠の薄い話とは真逆である。

それでも、筆者は根拠の薄い話、すなわち事例研究を積極的に読んでしまう。事例研究の対象者は1名であることも多く、しかも特殊なことが多い。一般化には向かないし、エビデンスレベルも当然に低い。事例研究をもとに一般化した発信を安易にしたら、周りから厳しい指摘を受ける可能性すらある。

同じ読むでも健康効果が違う?

根拠の薄い話を積極的に読んでしまうと言ったが、同じ読むという行為でも、「読み方」によって人に与える影響が異なるという研究がある。50歳以上、計3635人を分析対象として、週当たりの読書時間と死亡リスクとの関係を調べたコホート研究[2]がある。この研究のユニークな点は、読むという行為を一括りにせず、書籍と、新聞・雑誌とを区別して効果を探ったところにある。結果を見ると、読書によるポジティブな効果は書籍で特に認められている。

では、なぜ同じ読むという行為でありながら、書籍でよりポジティブな効果を示したのだろうか。論文の著者らは、その理由として、読書がもたらす認知的負荷の違いを挙げている。すなわち、書籍の読書は、内容に没入し、文脈を追い、登場人物やテーマを頭の中で統合しながら読み進める深い読書(deep reading)を促しやすい。一方、新聞や雑誌の多くは情報が断片的で浅く、同じレベルの没入感や認知的負荷を必要としない。実際、この研究では、書籍読書と死亡リスク低下との関係は、認知機能によって媒介されていることも示されている。つまり、本を読む人ほど認知機能が維持され、その結果として生存率が高くなるのであり、「もともと頭が良い人が本を読んで長生きしている」という逆因果とは言えないことが示唆されている。

筆者の中でこの研究が妙に印象に残っているのは、深い読書という行為が、情報を集めることではなく、物語に付き合うことを指しているように感じられたからだ。もしかしたら筆者は、結果として、健康のために事例研究を読んでいるのかもしれない、という気もしてくる。

根拠の薄い話

事例研究には個が出てくる。年齢、生活、競技歴、ときには日々の悩み。単なる研究対象というより、誰かの話として入ってくる。論文を読んでいるはずなのに、いつの間にかドキュメンタリーを見ているような没入感が得られる。筆者はこれが好きなのだと思う。

例えば、92歳でインドアローイング(普段は水上で行う漕ぐ動作を、陸上でトレーニングとして行うもの)の世界タイトルを4度獲得した男性を対象とした事例研究[3]がある。彼が競技を始めたのは退職後の73歳で、それ以前に本格的なトレーニング経験はなかった。仕事はパン職人やケミカルオペレーター[4]。スポーツとはほぼ無縁の人生だったという。それでも彼は、高齢になってからマスターアスリートとしての道を歩み始め、その世界の頂点に立ち、92歳に至るまで一度も大きな怪我を経験しなかった。この論文を読んでいると、高齢者と呼ばれる世代になってから競技を始め、日々競技に向き合い続けた一人の人間が浮かび上がってくる。

実際、筆者自身も研究者として、これまでに数多くの事例研究を発表してきた。その中には、日本や世界のトップレベルで戦うアスリートもいれば、仕事や学業と両立しながら自らの目標に向けてレースに挑んだ人もいる。そこには、いつも個が滲み出ていた。

根拠の薄い話の価値

科学的であるために、エビデンスレベルの高低による評価は間違いなく重要だ。特に医療分野では、命に関わる話題だけに、高いエビデンスレベルの論文の重要性は揺るぎない。しかし、エビデンスレベルの高低は、研究の価値そのものを表していない。エビデンスレベルの高い論文は、現象を平均化し、多くの人に共通する傾向を教えてくれる。一方で、事例研究は、それが誰に、どんな文脈で起きたのかを語ってくれる。そう、両者は役割が違うのだ。

科学の世界では、日々、数えきれないほどの論文が発表されていて、その1つひとつに、時間も労力もかかっている。けれど、多くは研究者の間で多少行き来するだけで、一般の人の目に触れることがない。強い根拠を備えた研究であっても、そこで語られているのが平均値や傾向だけであれば、記憶に残りにくいことも少なくない。一方で、根拠は薄くても、誰かの話として具体的に想像できる論文がある。事例研究は、普遍の真理を導くことはできない。それでも、人の姿が見える分、思いがけず人の手に届くことがある。事例研究は、科学を身近なものにするための、ひとつの道なのかもしれない。

確からしさとは別の軸で、根拠の薄い話を好きであり続けたい。

独立研究者(KDDI総合研究所リサーチフェロー) 髙山 史徳

[1] Ding, D., Nguyen, B., Nau, T., Luo, M., Del Pozo Cruz, B., Dempsey, P. C., Munn, Z., Jefferis, B. J., Sherrington, C., Calleja, E. A., Hau Chong, K., Davis, R., Francois, M. E., Tiedemann, A., Biddle, S. J. H., Okely, A., Bauman, A., Ekelund, U., Clare, P., & Owen, K. (2025). Daily steps and health outcomes in adults: a systematic review and dose-response meta-analysis. The Lancet. Public health, 10(8), e668–e681. https://doi.org/10.1016/S2468-2667(25)00164-1

[2] Bavishi, A., Slade, M. D., & Levy, B. R. (2016). A chapter a day: Association of book reading with longevity. Social science & medicine (1982), 164, 44–48. https://doi.org/10.1016/j.socscimed.2016.07.014 

[3] Daly, L. S., Van Hooren, B., & Jakeman, P. (2023). Physiological characteristics of a 92-yr-old four-time world champion indoor rower. Journal of applied physiology (Bethesda, Md. : 1985), 135(6), 1415–1420. https://doi.org/10.1152/japplphysiol.00698.2023

[4] ケミカルオペレーター(化学製品製造オペレーター、いわゆるプラントオペレーター):化学工場で各種装置を運転・制御して化学製品を製造する職業。厚生労働省「職業情報提供サイト」.https://shigoto.mhlw.go.jp/User/Occupation/Detail/300