脳内信号でロボット・アームを操作
ギャラン教授らが行った研究はBMIの先駆けと見ることができる。それはfMRIなどのマシンを使って脳の外部からその働き方を見る非侵襲型の一種だが、一方で被験者の脳に電極やチップを埋め込んで麻痺した手足を動かしたり義肢を操作するなど、侵襲型BMIの研究も世界各国で実施されてきた。
それらの中で最も有名なのは、1990年代後半に米国政府が資金を拠出して研究を開始した「ブレインゲート(BrainGate)」と呼ばれるプロジェクトだ。ここではブラウン大学やスタンフォード大学、ケースウエスタン大学やマサチューセッツ総合病院等が侵襲型のBMI開発に取り組んだ。
これら研究チームは交通事故などで脊髄を損傷し、首から下が麻痺した患者らの頭蓋骨を切開して、その大脳皮質にセンサーや半導体チップからなる特殊な読み取り装置を装着した(図4)。この装置とコンピュータ、あるいはロボット・アームなどをケーブルで接続することにより、患者は自らの脳内にあるニューロンが発する電気信号によって、それらコンピュータやロボット・アームなどを操作できるようになった(図5)。
これらは脳内の電気信号をロボット・アームなど外部の機械へと伝送する研究だが、それとは逆方向の流れを実現するための技術開発も進められている。つまりロボット・アームなどのセンサーが測定したモノの「手触り」や「温度」等の情報を、BMIを使って患者の脳内へと送り届ける技術だ。これが成功すれば、脊髄損傷などの患者がロボット・アームを使って、モノをつかんだ時の感触や焚火の近くに手をかざしたときのような暖かさなど、いわば現実世界の感覚や知覚を取り戻すことができる。
既に米国のピッツバーグ大学など一部の研究チームがそうした研究に着手し、本物の感触までには至らないものの、ロボット・アームが測定した何らかのセンシング情報を電気信号化して患者の脳内へと伝送することに成功している。それを受信した患者は「ちょっとピリッとするような感じがした」と感想を述べている。
脳に働きかけて過剰な欲求を抑える
このように外部から電気信号を患者の脳に伝える技術は、実は特定の病気において既に実用化されている。たとえばパーキンソン病患者の脳の一部を微弱な電流で刺激する治療法は「脳深部刺激療法(deep brain stimulation)」と呼ばれ、これにより患者の身体の震えを抑制できることが知られている。
こうした奇抜な治療法もBMIの一種と見ることができるが、最近では同様の技術を使って「食欲」などの欲望を制御する研究も始まっている。スタンフォード大学の研究チームは深刻な肥満患者の脳に電極を埋め込み、前脳にある「側坐核」と呼ばれる部分を電気で刺激することにより、その食欲を抑えようとしている。既にネズミを使った動物実験では、こうした電気刺激療法でその食欲を低下させることに成功している。
いずれはアルコールやコカイン等の中毒患者に向けても同様の研究が始まる見通しだ。
ただ、この種の研究は私達人間のパーソナリティ(個性)を外部から操作し、ひいては変化させる技術開発にもつながりかねないなど警戒を要する面もある。たとえば毎日、晩酌を楽しむような人達は「酒好き」という個性の持ち主と見ることもできるが、その飲酒量や飲酒頻度が一定限度を超えてしまえば「アルコール中毒」という一種の病気と診断されてしまう。
そこで、こうした中毒患者に先述の「脳深部刺激療法」等を施して飲酒欲を極力抑えてしまったとしたらどうなるだろう。それでも適度にお酒を飲める程度に止めておければいいかもしれないが、まかり間違って酒を全く飲めない体質に変えてしまったとしたら、この治療法を受けた人達は相当悲しい思いをするに違いない。
また単なる酒好きとアルコール中毒の境目は曖昧である。どこまでの酒量・頻度が単なる酒好きで、どこからがアルコール中毒になるのか。それを明確に区分する閾値があるわけではない。こうした研究を今後進めるにあたっては、恐らく何らかのガイドラインが必要とされるはずだが、それを策定するのはかなり難しいだろう。
また実際に「脳深部刺激療法」を受けた患者の中には、それに対する違和感を訴える人も少なくないという。現在までに、この治療法は前述のパーキンソン病以外の神経性疾患にも適用されている。たとえば鬱病を患って、この治療法を受けた人達の中には「(脳に電気刺激を受けた後は)自分が自分でなくなるような感じがした」と述べるケースもある。
改めて断るまでもなく、脳は私達の個性や精神性、あるいは自己同一性の源となる器官である。そこに直接働きかけるBMIのような研究は、今後慎重の上にも慎重を期して進める必要があるだろう。
KDDI総合研究所リサーチフェロー 小林 雅一