研究員がひも解く未来

研究員コラム

人は何のために家計簿をつけるのか? ―家計簿の歴史から―

人は何のために家計簿をつけるのだろうか?無駄遣いを減らしたい?将来のために目標金額を貯めたい?当然ながら、家計簿をつける目的は人それぞれだ。だけれど、家計簿の歴史を辿ってみると、過去には個人のための目的だけではない時代があったことがわかる。国や社会のために、家計簿をつけることを推奨される時代があったのだ。今、そのような目的が掲げられることは想像しにくいだろう。家計簿の歴史をみるだけでも、今、当然と思っていることは過去には当然でないことがわかる。ということは、未来もまた、今の当然とは異なるものになっていく可能性がある。今、日常的に使っている家計簿だって、将来的にはまた違った役割を担うこともありえる。それでは、日本における家計簿の歴史を辿りながら、あり得る未来について考えてみよう。

羽仁もと子による現代家計簿の誕生

家計簿の歴史を辿るうえで、そもそも最古の家計簿は何だろうか。商業簿記は、はっきりしていて、江戸時代のものまで遡ることができる。日本に現存する最古の商業簿記は、1616年富山家の「足利帳」だといわれている[1]。そして、より私的な家計の記録についても、少なくとも江戸時代のものが残っていて、1778年から1836年に入金について記録された川村修富の手留帳や、1853年の小栗上野介忠順の家計簿が残されている[2]。さらに、江戸時代の家計簿といえば、ベストセラーになり、かつ映画化もされた『武士の家計簿』を思い出す人も多いだろう。こちらは、幕末期の加賀藩士猪山家の家計簿が「主人公」である。この家計簿は、収入だけでなく、支出についても何日に、何にいくら使ったか、非常に細かく記録されている。『武士の家計簿』ではこの詳細な家計簿をもとにして、猪山家の日々の生活の再現を行ったわけである。ちなみに、猪山家が詳細な家計簿をつけていた理由は、蓄積していた借金を減らすためだったらしい。個人的な理由で家計簿をつけるという点では、現代人の感覚に近いといえるかもしれない。では、家計簿の形式はどうだろうか。現在なら食費や被服費など費目ごとにいくら使ったかまとめることが多いけれど、この時代の家計簿は、その時々の収支をただ時系列に記載するものだったようだ。家計簿の形式はシンプルであり、今のような費目ごとに管理する家計簿とは距離があるように感じられる。ここで、いつから現在のような家計簿となったのか、という新しい疑問が生じる。答えを言えば、明治期のことになるのだけれど、興味深いのは、西欧から輸入されたものではないというところだ。現代的な家計簿の形式は、明治期に羽仁もと子という人物が、費目ごとに管理する家計簿を提案したことがはじまりとなるのだ。

羽仁もと子が現代的な家計簿を考案するには、前提となる時代背景があった。ポイントとしては、主婦が現れたことである。まず明治期に産業化が進む中で、会社員という働き方が出現する[3]。そして、その会社員の配偶者として出現したのが、主婦である。会社員の夫に主婦の妻、という夫婦を基本の家族単位とした「家庭」という形態がこのころ現れる。

このような時代背景のもと、家の管理や記録を、主婦の役割にすることを推奨する流れが現れる。当時、言論活動で影響力を持っていた徳富蘇峰や堺利彦は、夫婦本位の「家庭」家族の整備を推奨し、主婦教育を重視する言説を展開している[4]。その流れの中で、その考えを具体的な家計簿という形に落とし込んだのが、羽仁もと子である。主婦が家計を管理すべきと考える羽仁もと子は、1904年に婦人之友社から『羽仁もと子案家計簿』を発行する。羽仁もと子は、主婦が家計の管理主体になるとともに、家計の運営は合理的であるべきだと考えていた[5]。そこで羽仁もと子の家計簿では、生活を「合理化」し、将来のために貯蓄することを推奨したというわけだ。このことを実現するために、羽仁もと子の家計簿は現在では一般的になった家計簿と同様に、まず総収入を把握したうえで、それぞれの費目ごとに予算をたて、実費を差し引いていく形式になっている。このように『羽仁もと子案家計簿』は、どの費目にいくらかかっているのか把握することができる家計簿となっていた。

図表1 羽仁もと子案家計簿
(出典)婦人之友社ホームページ

戦時体制で変化する家計簿の目的

現代の私たちが目にする、費目ごとに管理する家計簿は、羽仁もと子が基礎を創った。以降、家計簿の形式としては大きな変化はないのだが、家計簿をつける目的は、時代とともに変化していくことになる。明治の羽仁もと子の家計簿は、将来的な生活向上を目指した貯蓄を目的としていた。しかし、太平洋戦争期には、家計簿も戦時体制に組み込まれてしまう。戦時下の家計簿では、そのときどきの生活費を捻出させるとともに、かつその生活を鼓舞する目的が付与されるようになる。戦時中、紙不足により家計簿の発行は制限されていたが、例外的に発行されていた『生活家計簿』という家計簿がある。この家計簿では、戦時体制を維持するために、家計を管理し勤労再生産に励むことと、物品の節約が戦力増加につながっていることが、「『生活家計簿』の記け方」に記されているのだ[6]。実際に、その家計簿をつける人がその目的に従っていたかはわからないが、家計簿側に目的が大々的に掲げられ、それが国家のための目的という歴史があったことは事実である。

一方で、戦争末期から敗戦後にかけては家計簿を記すことは、そもそも困難であったという証言もある[7]。なぜなら、戦中や戦後における多くの国民の生活が苦しい時期は、非合法に収入や米などを得ることが常態化していたためだ。家計簿つけてしまうと、非合法的な手段で得ている収入などを記録に残すことになってしまう。また、そもそも生活が苦しくその日暮らしであるため、家計簿をつける余裕がない人も多かったこともあるだろう。

いずれにせよ、家計簿をつけることの意味は、戦争によって変わってしまっている。家計簿という私的な記録さえも、公的な役割を担うことになっていたといえるだろう。では、戦争が終わった後、家計簿の目的はどうなったのだろうか。実は終戦とともに、家計簿をつける目的を変化させたうえで、やはり国のための目的を掲げている家計簿がある。戦後の1952年に、金融界、産業界、学識経験者で構成される貯蓄増強委員会が結成され、日本の資本蓄積を増やすために貯蓄推進運動が展開されるようになるのだが、その具体的な施策の1つとして家計簿が利用されている。『明るい生活の家計簿』が刊行され[8]、そこでは戦後復興を目的と掲げて、貯蓄することが推奨されているのだ。家計簿をつける目的は、戦争遂行のためから、戦後復興のために変わっていったのである。

一方で、国の状況とは関係なく、自分たちの生活のための家計簿も戻ってきている。その中には、家計簿を継続する手法として目を引くものが現れているので紹介しておきたい。それは、戦後間もない1946年に『婦人ノ友』が呼びかけを行った「家計簿をつけ通す同盟」という活動である。これは、同盟が各家庭の家計簿を集め、平均値を集計し、会報誌にその値を報告することで、平均値をベンチマークとすることができる仕組みである[9]。加えて、『婦人ノ友』では、リアルでの交流の場も設けられている。近所の会員同士で最寄会を設置し、後輩が先輩に家計簿を見せて、アドバイスを受けるという活動が行われた。最寄会のような場があることで、疑問ができたときに相談し、励ましあうことで家計簿を継続できた、という声もあったようである[10]。このように、戦後の日本では、他の家庭の家計簿と比較することや、相談するためのコミュニティ作りといった新しい方法が現れている。

 デジタル化する家計簿

そして現在は、家計簿のデジタル化が進んでいる。まず、パソコンが各家庭で利用できるようになると、エクセルに代表される表計算ソフトや家計簿ソフトを使って、家計を管理する家庭が出現する。家計簿ソフトは、1986年に「てきぱき家計簿マム」[11]、1989年には「スーパー家計簿」[12]がそれぞれ発売されている。表計算ソフトや家計簿ソフトの活用により、金額の記録だけでなく、グラフ化も容易になっていく。

図表2 家計簿マムの画面と機能(現在販売されている家計簿マム10のもの)
(出典)マム倶楽部ホームページ

さらに近年では、スマホの普及が進み、2012年にマネーフォワードやZaimといった家計簿アプリがリリースされ、スマホアプリで家計簿をつけることが可能となった。これらの家計簿アプリでは、レシートを撮影するだけでその内容を家計簿に反映させる機能がついており、家計簿記帳の労力を減らしている。また、2017年の銀行法改正に伴って、2020年からの銀行API開放されたことにより[13]、家計簿アプリと銀行口座やクレジットカードの記録を連動させることができるようになった。対応した銀行口座やキャッシュレス決済であれば、自動でこれらの情報を取得することができるようになり、レシート撮影による支出の自動登録機能とあわせて、家計簿をつける手間が一気に省かれるようになっている。そしてその他にも、家計簿アプリで特筆すべき機能がいくつかある。Zaimが提供しているような、利用者の希望するライフスタイルにあわせて長期的にシミュレーションできる機能や、マネーフォワードが提供する自分の家計と近い家計の平均データを参照することができる機能である。マネーフォワードが提供する機能は「家計簿をつけ通す同盟」の活動を思い起こさせるが、デジタル化によって、「家計簿をつけ通す同盟」のように各家計から家計簿を回収する必要はもちろんない。このような長期的なシミュレーションや平均値の比較が容易にできるようになったのも、デジタル化が進んだことによる恩恵といえるだろう[14]

図表3 マネーフォワードアプリ画面例
(出典)マネーフォワードホームページ

図表4 長期シミュレーション画面例
(出典)Zaimホームページ

家計簿の未来

以上、日本における家計簿の歴史を追ってきたが、家計簿は時代に応じて形式や目的を変えてきていることがわかる。そして近年、長期にわたって紙に記録するものだった家計簿は、パソコンやスマホの普及によって、急速にデジタル化している。このようなデジタル化がさらに進むことで、家計簿はどのように変化していくだろうか。筆者は、家計簿はつけるものでなく、生活のパートナーになっていくのではないかと予想している。

なぜ、生活のパートナーになるのか。1つは、今後キャッシュレス化が進むことで、さらに自動で記録できる領域が増えていき、家計簿をつけるための労力は減っていくことにある。家計簿をつける時間が減ることで、その時間を自身の生活や家計と向き合う時間にあてることが可能になる。そのとき、家計簿アプリが求められるのは、生活者それぞれにあわせた具体的なライフプランの提案やアドバイスになるだろう。事業者側に長期的な家計簿のデータがさらに集まれば、よりパーソナライズされた具体的な提案やシミュレーションが可能になる。

また、家計簿からつながる人間関係が充実する可能性も考えられる。「家計簿をつけ通す同盟」では、家計簿のベンチマーク設定や、最寄会での相談が行われていた。マネーフォワードでも、自身の家計に似た家計と比較する機能を提供している。オンラインを利用すれば、より近しいライフスタイルの人と情報交換や交流が容易になる。そのような方向で、オンラインコミュニティが活性化していく余地もあるのではないだろうか。

家計簿の記録をつける手間が減り、より個々人の生活に寄り添うようになっていく。このとき家計簿は、ただ記録をつける媒体ではなく、生活を共にするパートナーになっていく。そんな未来がくるのではないだろうか。

KDDI総合研究所コアリサーチャー 新倉 純樹

◼️参考文献
磯田道史(2003)『武士の家計簿 「加賀藩御算用者」の幕末維新』新潮社.

内田真人(2018)「金融リテラシーの考察(1)」『社会イノベーション研究』, 第13巻第1号, pp.37-68.

澤地久枝(2007)『家計簿の中の昭和』文藝春秋.

鈴木貴宇(2022)『<サラリーマンの文化史> あるいは「家族」と「安定」の近現代史』青弓社.

西川祐子(2009)『日記をつづるということ 国民教育装置とその逸脱』吉川弘文館.

樋口幸永、近藤隆二郎(2009)「「全国友の会」における家計簿記帳運動の特徴と役割」『日本家政学会誌』, vol.60, pp.859-868.

三代川正秀(1997)『日本家計簿記史 アナール学派を踏まえた会計試論考』税務経理協会.

[1] 松阪市「松阪物語~射和・中万の豪商たち~」https://www.city.matsusaka.mie.jp/site/kanko/matsusakastory3.html(2023年6月5日アクセス)。

[2] 三代川(1997)。

[3] 鈴木(2022)によると、1896年(明治29年)には株式会社は4,595社だったのが、1903年には9,247社まで増加しており、大正期には「サラリーマン」という用語が定着するようになる。

[4] 西川(2009)。

[5] 明治以前、「家」を管理、監督するのは主に男性であったことから、女性が家計を管理するという考えは、当時においては進歩的な考えだったことに留意が必要である。また、現在のジェンダー平等の観点から、本コラムは特定の性別が家計を管理すべきという考えに賛同するものではないことも付記しておく。

[6] 西川(2009)。

[7] 澤地(2007)。

[8] 内田(2018)。

[9] 西川(2009)。

[10] 樋口ほか(2009)。

[11] ASCII.jp「16代目の家計簿ソフトはPCと生活スタイルに合わせた進化」https://ascii.jp/elem/000/000/508/508571/(2023年6月5日アクセス)。

[12] 夢工房ホームページ https://www.yumekobo.jp/corporate.html(2023年6月5日アクセス)。

[13] 総務省(2018)「平成30年版 情報通信白書」。

[14] 家計簿アプリについて詳細は、新倉純樹(2023)「資産の可視化が資産運用に与える影響」。
https://rp.kddi-research.jp/article/RA2023035