チャンピオンスポーツの世界では、親がコーチで、子どもがトップアスリートのケースが珍しくない。例えば、棒高跳びのアルマンド・デュプランティス、中長距離走のヤコブ・インゲブリクトセン、テニスのウィリアムズ姉妹(ビーナス・セレーナ)。彼らは、オリンピックの舞台で金メダルを複数回獲得した実績を持つ超一流アスリートで、その競技的成功の裏には、コーチとしての親の存在が挙げられることが多い。興味深いことに、そのような親の中には、アスリート経験を持たないケースもある。
親がコーチを務めると、どんなメリットがあるのだろうか?
親がコーチをするメリット
私見にはなるが、第一に他人の子どもへは躊躇するような厳しい指導がしやすいという点が挙げられる。特に、コンプライアンスが厳しい現代では、他人の子どもへの厳しい態度をとること自体が難しくなりつつある。一方、親がコーチの場合、「家庭の教育」の延長として厳しい指導が成立しやすく、外から「もう少し寛大にしたら」といった忠告も受けにくくなる。
科学的な観点から見ても、親がコーチを務めるメリットはある。ラフバラー大学(英国)で心理学の分野からコーチングを研究しているジョウェット教授らによると、効果的なコーチングのためには、選手と指導者との間に次に示した4つのCを育むことが重要になるらしい。
・Closeness(親密性)
・Commitment(献身)
・Complementarity(相補性)
・Co-orientation(共同認識)
また、これらを育む具体例としては、次の表の取り組みが挙げられる。
表 4つのC(3+1C)の育み方の例[1]
関係性の要素 | 例1 | 例2 | 例3 |
---|---|---|---|
親密さを育む(Developing closeness) | トレーニングや試合、スポーツ以外の場面で、お互いに称賛、励まし、サポート、建設的なフィードバックをする時間を設ける。 | 雑談を取り入れる:お互いの誕生日を覚える、スポーツ以外の活動にも関心を持つ。 | チームビルディングや社交的な活動に参加し、他の選手、アシスタントコーチ、親も巻き込む。 |
献身を育む(Developing commitment) | 試合やトレーニングを欠席せず、時間を守る。最初に到着し最後に去るなどの姿勢を見せる。 | 相手のために時間を惜しまず使う(例えば、グラウンドに長く残って練習をする、指導やフィードバックを受ける・提供する)。 | お互いに学び合い、個人およびチームの目標を共に設定する。 |
相補性を育む(Developing complementarity) | ルールを明確にする(コーチと選手が理解できる行動規範を作成し、それに従わない場合の結果を明確にする)。 | コーチと選手の双方が積極的に意見を出し、トレーニングに参加することを促す。 | 決めるべきルールや方針はしっかり決めるが、選手の自主性も尊重する。 |
共同認識を育む(Developing co-orientation) | コーチと選手が目標に合意し、それが全員の能力、期待、希望、願望に沿ったものであることを確認する。 | 好奇心を持ち、質問をし、お互いの返事を積極的に聞く。 | お互いのニーズに敏感になり、相手の視点や考えを理解しようと努める。 |
(出典)Shanmuganathan-Feltonら(2022)より筆者作成
このフレームワークをもとに考えると、親がコーチをするメリットが浮かび上がる。すなわち、親子という特別な関係性があるからこそ、日常生活の中で自然と親密性や相補性、共同認識を育む機会が生まれやすい。また、親は単なるコーチではなく、子どもの人生全体に深く関わる存在であり、スポーツの場面だけでなく、日常生活や精神的な支えの面でも密接な関係を築くことができる。そのため、献身度も高まりやすく、親自身が強い責任感を持ってサポートを続ける傾向がある。
実際、コーチという役割でなくても、親の献身が競技者としての成功につながったとされる例は多い。『スポーツ産業学研究』のある論文[2]では、日本のトップアスリート(杉山愛、錦織圭、宮里藍、石川遼)の親へのアンケート結果が詳しく報告されている。それによると、どの親も子どもへのサポートを熱心に行っていた。また、この際、「してあげた」といった上から目線ではなく、「無我夢中」で支えていたと回想していた。このように、自分の利益を顧みずに尽くす献身的なサポートを受けた子(選手)は、それに応えようとハードなトレーニングにも前向きに取り組みやすいのだろう。
インゲブリクトセン一家とウィリアムズ一家の事例
このような親子のメリットを最大限に活かした成功例として、少し前まで扱われていたのが、インゲブリクトセン一家の物語だ。父ジェルト、母トーネの間に生まれた7人の子どもの5人目のヤコブは、幼い頃から「トップに行くには近道はない」という父の教えのもと、専門的でハードなトレーニングを実践してきた。また、母は食事の準備やトレーニング後のサポート、洗濯などを通じて、子どもたちのスポーツ活動を支え続けた。さらには、家族全員が合宿や大会時には同行し、精神的な支柱にもなっていた。
インゲブリクトセン家の物語は母国ノルウェーでドキュメンタリー番組として放映されていた他、コーチングを専門とする学術雑誌に掲載された「ノルウェーの3兄弟が揃ってヨーロッパ選手権に出場:1500mチャンピオン: その秘密とは?」という論文[3]でも、競技的成功の一因としてポジティブな意味で扱われていた。
ところが、話はここで終わらない。
東京オリンピックでの金メダル獲得から2年後の2023年、ヤコブは、父ジェルトから長年にわたり虐待を受けていたことを公表し、一家のイメージが一瞬にして崩壊したのだ。彼によると、幼少期から支配的な管理や心理的圧力が日常的に存在し、自由が奪われていたという。これに対し、ジェルトは疑惑を否定しているものの、問題は法廷で争われる事態へと発展している。法廷での決着がどうなるのかは今のところ分からないが、軽い親子喧嘩の域を超えているのは明らかだ。
こうしたケースを見るたびに、しつけと虐待、献身と支配、支援と圧力の境界線が意外とぼやけているように感じてしまう。競技的成功を収めた選手の親子の物語は称賛されがちだが、その裏で子どもはどれだけの犠牲を払っているのか。競技的成功を収めれば許されるのか。逆に、同じようなアプローチでも結果につながらなかった場合、それは虐待として糾弾されるのだろうか。
別の事例として、ウィリアムズ姉妹の父リチャードは、プレーヤーとしてはほぼ素人ながら、娘たちをテニス界のスーパースターに育て上げたが、そのアプローチは独裁的、暴力的ともいわれた。この家族の物語を描いた映画『ドリームプラン』はアカデミー賞でウィル・スミスが主演男優賞を受賞するなどの注目を集めたが、本当に夢の計画と呼べるものだったのか?
ちなみに、この映画の原題は、『King Richard』である。暴君の異名を持つリチャード三世を描いた劇作家シェイクスピアの戯曲のタイトルと似ているのは少なからずの意図が込められているのだろう[4]。実際、「Richard」は英語圏で「強い支配者」という意味があり、父リチャードの姿勢にも通じるものがある。
筆者には「キング」という表現がこの世界の闇を切り裂いているように見えてしまう。
親のコーチングが真の成功に終わる条件とは?
いずれにしても、親によるコーチングやサポートが美談として成立し続けるためには、いくつかの条件があるように思える。ひとつは、関係が行き詰まる前に、キャリアの途中で新たなコーチのもとへ移り、新しい道を歩むことだ。
もうひとつは、子どもの成長に伴い、親子の距離感を適切に変えていくことだ。これはスポーツをする子どもに限らず、成長とともに子どもは自我が芽生え、一人の社会人として自立していく。それに対して親が関わり方を変えなければ、幼い頃には成り立っていた関係も、やがてバランスを失いかねない。
もしも本当に優れたコーチであれば、「自分がいなければ勝てない」のではなく、「自分なしでも勝てる」アスリートに育てるはずで、それは親子にも同じことが言えるだろう。ちなみに、その圧倒的な実力から日本ボクシング史上最高傑作と称される井上尚弥のコーチは、現在まで一貫して父親が務めているが、その信念は「息子に夢は託さない」だという[5]。また、良好な関係を築いている父親であっても、プロ入りのタイミングで自らコーチを辞めようとしていたというエピソードは興味深い。
最終的に親がコーチという役割を続けるかどうかは個々のケースによるだろうが、親が子どもを一人の人間として送り出せるかどうか、「親離れ・子離れ」ができることこそが、真の成功と言えるのではなかろうか。そして、そのことが後の人生にも負の感情を残さないことにつながるのではないだろうか。
人間が先、アスリートが後である。
独立研究者(KDDI総合研究所リサーチフェロー)髙山 史徳
[1] Shanmuganathan-Felton, V., Felton, L., & Jowett, S. (2022). It Takes Two: The Importance of the Coach-Athlete Relationship. Front. Young Minds. 10, 676115. http://doi.org/10.3389/frym.2022.676115 (CC BY 4.0) をもとに作成
[2] 杉山芙沙子, 間仁田康祐, 原章展, & 平田竹男. (2012). 日本の若手トップアスリートにおける両親の教育方針に関する一考察. スポーツ産業学研究, 22(1), 55-62. https://doi.org/10.5997/sposun.22.55
[3] Tjelta, L. I. (2019). Three Norwegian brothers all European 1500 m champions: What is the secret?. International Journal of Sports Science & Coaching, 14(5), 694-700. https://doi.org/10.1177/1747954119872321
[4] 原題は、「The Tragedy of King Richard the Third」。なお、シェイクスピアに描かれた姿とは異なり、実際のリチャード三世は暴君や悪役ではなかったという説もある。
[5] 朝日新聞デジタル(塩谷耕吾). 「息子に夢は託さない」父の信念、共感していた井上尚弥. 朝日新聞社. (2021年5月24日) https://www.asahi.com/articles/ASP5L4G0ZP56UTQP009.html