一昔前なら「単なるSF」と一笑に付された「AGI(Artificial General Intelligence:汎用人工知能)」が、ここに来て俄かに現実味を帯びてきた。
世界のAI開発をリードするOpenAIのサム・アルトマンCEOは今年1月、自身のブログで「我々は今やAGIの構築方法を見出したと確信している。(中略) 2025年は(AGIへの一里塚と目される)AIエージェントが労働力に加わる最初の年になるかもしれない」と記している。
これと前後して、アルトマン氏は米ブルームバーグとのインタビューの中で「AGIは現トランプ大統領の在任中(つまり今から4年以内)に実現されるだろう」と予想している。
またOpenAIの最大のライバルであるAI開発企業「アンソロピック」のダリオ・アモデイCEOも、今年2月にニューヨークタイムズとのインタビューで「(AGIと事実上同義とされる)あらゆる仕事において人間と同等、あるいはそれを凌ぐAIは今後1~2年の間に実現されるだろう」と述べている。
さらにグーグルのAI開発部門「ディープマインド」の最高責任者で、2024年に(AI技術をタンパク質の構造予測に応用した業績で)ノーベル化学賞を受賞したデミス・ハサビス氏も「AGIは2030年までに(つまり今から5年以内に)実現されるだろう」と予想している。
もっとも彼ら3人は、いずれも企業でAI開発に携わる利害関係者だけに、これらの発言は外部の関心や巨額の投資を引き寄せるための「我田引水」あるいは「誇大広告」などと見られても仕方がない面もある。
しかし「AGIの実現が間近に迫っている」とする予想を口にするのは実は彼らだけではない。以前から「AIのゴッドファーザー」と称され、その功績から2024年のノーベル物理学賞を受賞したカナダのジェフリー・ヒントン博士、さらに彼と並び称される(同じくカナダの)ヨシュア・ベンジオ博士ら、AI研究の世界的権威も目前に迫ったAGIの可能性や脅威にしばしば言及している。
また前バイデン政権のNSC(National Security Council:国家安全保障会議)でAIに関する特別顧問を務めたベン・ブキャナン氏(現ジョンズホプキンズ大学助教授)も「AGIは間もなく実現される」とする見方を示しており、「安全保障上、(AGIの開発で)米国が中国に遅れをとってはならない」と主張している。
彼らはいずれも企業に属さない研究者だけに、その発言には相応の中立性・信頼性が伴うと見ていいだろう。
また前出のアルトマン氏ら3名の企業関係者も、確かに「間近に迫るAGIの実現」を強調することで外部の関心や投資を呼び込みたい等の思惑も働いているかもしれないが、それでもそうした予想が外れれば自らの信用が傷つくだけに、そう根も葉もない事を口にするとは考え難い。
これらのすべてを鑑みると「AGIが今後1〜5年以内に実現される」とする彼らの予想は絶対確実とは言えないまでも、少なくとも「当たらずとも遠からず」といった評価なら妥当と言えそうだ。
そもそもAGIとは何か?
このように一部の著名なAI研究者・関係者らが注意を喚起するAGIだが、実は「AGIとは何か」あるいは「AGIが何を意味するか」等の厳密な定義は存在しない。
AGIに類する概念を最初に提唱したのは英国の哲学者・数学者のアーヴィング・ジョン・グッド氏と見られている。彼は1965年に出版した著書の中で、(コンピュータのような)機械が人間のあらゆる知的能力を超えるとき、それを「超人間知能(Superhuman Intelligence)」と定義した。
また比較的新しいところでは、2014年に同じく英国のオックスフォード大学・「人類の未来」研究所の創設者ニック・ボストロム氏が「スーパー・インテリジェンス(Superintelligence: Paths, Dangers, Strategies)」というタイトルの本を出し、この中でAIが人間の知能を超える可能性を論じると共に、それがもたらす深刻なリスクに警鐘を鳴らした。
恐らく、これらの先駆的な思想がAGIの源流と考えられるが、いずれにせよ未だ実在しない一種「想像の産物」であるだけに、誰でも勝手に定義できるような面もある。
たとえばAGIを「人間と同レベルかそれ以上の汎用的知能を備えたマシン」と言う人もいれば、「人類全体の知能を凌ぐほどの高度な人工知能」あるいは(ボストロム氏の著書名に影響されて)「スーパー・インテリジェンス」などと表現する人もいる。
中にはAGIを「意識すら備えている超越的AI」などと考えている人もいる。つまり百人のAI専門家に聞けば、百通りの答えが返ってくるような状態である。
一方、サム・アルトマン氏はAGIを「中央値の人間(median human)、あるいは一般的な労働者として働くことのできる知能を持ったAI」と定義している。ただ、この「中央値の人間」という表現は人間を一種統計的な存在として捉えているせいか、ニューヨーク・マガジンに掲載された記事[1]の中で「無神経(insensitive)」と批判されたこともある。
一方、テスラやスペースXなどのCEOを務める世界的実業家イーロン・マスク氏はAGIを「人類にとって信頼できる有益で安全な技術」と位置付け、それが「宇宙の真の性質を理解するという究極の目標に貢献できる」と述べている。
マスク氏は日頃(AGIのように)高度な発達を遂げたAIの危険性に警鐘を鳴らしているだけに、彼がAGIを「人類にとって信頼できる有益で安全な技術」と呼ぶとき、それは「為すがままにしておけばそうなる」ということではなく、「(我々人間が)努めてそうしなければならない」という意味が込められているだろう。
またOpenAI共同創業者・社長のグレッグ・ブロックマン氏はAGIを「経済的に最も価値のある仕事において人間を凌駕する高度に自律的なシステム」と定義している(この定義はOpenAIの公式ブログ[2]にも掲載されている)。
現在、これら様々な定義の混交したものが一般に「AGI」という漠然とした概念(イメージ)を形成している。となると、所詮はそのように曖昧な存在であるAGIが「今から数年以内に実現される」と予想したところで無意味だ、という批判も聞かれそうだ。
なぜならAGIには確たる実体がない以上、そもそも「それを実現する」という行為や発言自体に意味がないとも考えられるからである。
確かに、そうした批判はある程度的を射ているが、逆にそう決めつけることもできない。
仮に前出の「スーパー・インテリジェンス」などAGIの漠然としたイメージだけでも、それがもたらす社会的なインパクトの大きさやそれに備えた心構えを喚起するなどの点において、その実現時期を予想することには相応の意味があると考えられるだろう。
たとえ「人間と同等の知能」でも凄いと評価される理由
もう一つ注意しておかねばならないことは、しばしばAGIと並び称される「ASI(Artificial Super Intelligence:人工超知能)」の解釈と位置付けだ。
たとえばソフトバンクの孫正義CEOら一部のAI関係者はAGIを「人間並みの汎用AI」、ASIを「人間を(遥かに)超える汎用AI」と定義している節がある。確かに「Super」などの語義を厳密に解釈すれば、そうした区別は適切かもしれない。
しかし(前述のように)AGIも時に「スーパー・インテリジェンス(超知能)」などと呼ばれることもある以上、実際にはAGIとASIの間にそれほど厳格な境界線は存在しないように見受けられる。つまり両方とも「人間に匹敵ないしはそれを凌ぐような凄い汎用AI」というイメージでほぼ間違いないと思われる。
さらにもう一点、くどいようだが断っておくと、仮にAGIを「人間(の知能)と同等、あるいはそれを超える汎用の人工知能」と定義した場合、「もしもAGIが人間を超えるなら確かに凄いし、それを開発(実現)する意味はあると思うが、もしもAGIが人間と同等なら、そんなに大したことはないし、それを開発する意味も無いのではないか」という批判も恐らくあり得る。
なぜなら「AGIが所詮人間の知能と同程度であれば、敢えて私達の仕事を(AGIのような)人工物に任せる必要はない。従来のように人間に任せれば済む」という考え方も成立しそうだからだ。
しかし、その考え方は重要なポイントを見逃している。たとえAGIが人間の知能と同等であったとしても、実質的あるいは総合的な労働力という点で両者の間には大きな違いがある。
まず人間が働けばやがて疲れて生産性が落ちるが、(実際にはコンピュータという機械に実装されたソフトウエアである)AGIはいくら働いても疲れることはないし生産性が落ちることもない。
また人間の労働力が量的に限られているのに対し、AGIが稼働する巨大データセンターではそれを処理するGPUの数を何万個、何十万個・・・と、どんどん拡張していけば、従来とは比較にならないほど膨大な労働力を生みだすことができるからだ。
これらの事から、たとえAGIが人間と同等の知能であったとしても、それは産業界ひいては社会全体に多大なインパクトを及ぼす「歴史的な発明」であることは間違いない。また、このように凄い技術であるAGIを我々人類が開発(実現)する意味は十分あると言えるだろう。
(後編に続く)
KDDI総合研究所 リサーチフェロー 小林 雅一