大企業がD2Cを目指すワケ

ありえない神対応

米ワシントン州に住むスーザン・シグムンドにはお気に入りの新興スニーカーブランドがある。ある日スーザンがこのブランドのラインナップをスマホで眺めていたところ、スカイブルーのスニーカーに目が奪われた。しかしそれは男性向け商品とある。そこでスーザンはこのブランドのインスタグラムアカウントに対して「おねがい!!この男性向けの青いシューズを女性向けにも出して!出してくれたらすぐに買うから!」と投稿した。するとブランドはすぐに動いた。わずかな期間で女性向け商品を完成させ、そしてスーザンに宛ててその商品の発売を報告したのだ(図表1)。スタートアップならではのスピーディなフットワークが際立つ。彼らには会議のための会議も、気が遠くなるような部門間調整も、情報ドカ盛りの資料作りも、その資料の”てにをは”チェックもない。顧客の様々な声をすばやく商品改良に反映してきたことで、顧客たちは「ブランドが自分たちの声を聞いてくれている」と認識する。こうして、さらに良質なフィードバックが集まり、ブランドと顧客のつながりは強固になっていった。

図表1  SNS上でブランドがスーザンに商品の発売を報告
出所:インスタグラム

D2Cは精神的なつながりを重視

このスニーカーブランドの名前は米オールバーズ(Allbirds)。2016年創業のサステイナビリティを重視するこのブランドは、先述のような顧客とのダイレクトな関係性を強みに一気に成長した。2016年の発売から2年でシューズの総売上は1億ドルに到達、2021年11月には創業わずか5年で米株式上場を果たした。

オールバーズはD2C(Direct to Consumer)というビジネス形態でよく知られる。D2Cとはブランドが顧客とダイレクトにつながる形態のビジネスだ。直販モデルを起点とすることに加えて、ブランドの価値観や哲学を伝え共感を得ながら商品を提供する(図表2)。「精神的なつながりを重視」している点が一般的なECとの大きな違いだ。

図表2  D2Cのビジネス形態
出所:D2Cブランド「Fabric Tokyo」の資料などを参考にKDDI総合研究所作成

米スタートアップの「新しい武器」となったD2C

現在のD2Cムーブメントの始まりは2010年前後の米国のスタートアップシーンにさかのぼる。オンライン直販とSNS中心のダイレクトコミュニケーションによって、アパートの一室からでも低コストかつ低リスクにブランドの立ち上げが可能になった。この頃いち早く米国で始まっていたスマートフォンの普及もD2C隆盛を後押した。インターネット常時接続デバイスが広まり、つまらない会議の時間はSNSチェックや買い物の時間となった。

続々と登場したD2Cブランドの中には同業の老舗企業を打ち負かすほどのインパクトを生み出したものもある(マットレスD2Cのキャスパー)。D2Cはスタートアップにとっての「新しい武器」となった。

大企業が欲しい「共感を伴うID」

そして日本でも2015年前後に米国の動きを取り入れる形で新興のD2Cブランドが続々と立ち上がり始める。さらにその2、3年後には国内大手メーカーによるD2Cへの進出が目立つようになった(パナソニック「Roast」、キリン「ホームタップ」、ミツカン「ZENB」、資生堂「オプチューン」など)。

大手既存メーカーがD2Cを目指す理由は、顧客とのダイレクトなつながりの獲得であり、簡単に言えばファンを増やすことだ。ダイレクトなつながりは事業においては顧客IDとも言い換えられる。多くの顧客IDを持つインターネットサービス企業とは異なり、これまでメーカーは顧客IDをあまり持ってこなかった。なぜなら、メーカーの商売の屋台骨は、パートナー企業である量販店などを通じての商品販売であり、それをいかに拡大するかが長らくの優先事項であったからだ。このモデルでは商品を世の中に広く売ることができる反面、いわば間接販売であるため顧客との直接的なつながりには発展しづらい。

しかし、世の中の変化に伴ってメーカーも顧客IDの獲得に目が向き始めた。現代はモノで溢れ昔のようにマスプロダクトは売れない。また、若年層中心に買い物の仕方もオンライン寄りに変化してきている。顧客とダイレクトにつながって価値観を共有しつつ商品を提供していくスタイルが既存メーカーにとっても意味を持ち始めた。そしてダイレクトなつながりを作るためのテクノロジー環境も整っている。共感を伴うID、既存メーカーが欲しいのはこれだ。

D2C転換では既存流通との衝突回避を

ただし、既存メーカーにとってD2C転換はビジネスモデルの大転換となるため簡単ではない。特にネックになるのは築き上げてきた既存流通網だ。直販に転向すれば、これまでのパートナー企業をスキップすることになるため彼らからの反発は必至だ。ダイソンは量販店からの圧力によりD2C事業でアクセルを踏めなかった。直販モデルのデルコンピュータが台頭したときに当時PCシェアトップだったコンパックも同じ理由から直販にシフトできずにシェアを落とし、その後ブランドは消滅した。D2C転換においてはこの既存流通網との衝突回避が重要となる。考えられるアプローチについてはここでは割愛するが、レポート「マスプロダクトが売れない時代のD2C – part2 – 〜国内D2Cビジネスや既存企業のD2C転換への示唆」にて2つの考え方をまとめている。

D2Cは未来投資でもある

既存企業にとってのD2C転換は将来的視点でも重要になり得る。なぜなら、若年層ほどオンラインで買い物をすることが一般的であり、この傾向はこれから先も不可逆的に進むと考えられるからだ。つまり、時間の経過と共にそういう人たちが消費のボリュームゾーンになっていく。そうなると何が起こるか?D2Cブランドにとって、オンラインショッピング利用者が増えるというのは好機だが、同時にダイレクトな顧客IDの争奪戦になることも意味する。すなわち、今から先んじて若い層とのダイレクトな関係を作っていくことが重要になる。既存企業のD2C転換は未来への大事な投資でもある。

KDDI総合研究所コアリサーチャー 沖賢太郎

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