マラソン観戦のワクワクドキドキを高めるICT活用法

人はなぜスポーツを観るのだろうか。

応援している選手がいる、住んでいる地域にプロチームがある、そのスポーツをした経験があるなど、人の数だけ理由はあるが、日常生活では得られにくい興奮が得られることは、観るスポーツの魅力に違いない。

近年ではICTを使うことで、スポーツ観戦のワクワクやドキドキを高める試みも盛んだ。本コラムでは、筆者がスポーツ科学の研究者として携わってきたマラソンを対象に、マラソン中継を観る者がワクワクドキドキするために、ICTをどう活用できるのか考察してみる。

専門家のコメントは当たるのか

一般にスポーツ中継の解説者は、その競技の元一流選手や著名な指導者が務めることが多い。解説者の役割は、ルールを分かりやすく伝えることや、心理面を含めた選手の状態分析、試合展開の予想、選手のパフォーマンスに対する批評など多岐にわたる。特にマラソンでは、2時間以上競技が続くこともあり、観戦者を飽きさせないためにも解説者に求められる役割は大きい。実際、マラソン中継では、「腰高で効率の良いフォームです」「動きが元気になってきました」といったように、選手の動きをもとに状態を分析したり、展開を予測したりする解説を聞くことがある。

ここで専門的な話をしてみたい。マラソンの競技成績に深く関係する生理学的な指標として、最大酸素摂取量とランニングエコノミーがある。この2つは、しばしば車に例えられ、最大酸素摂取量はエンジン性能を表す。一方、ランニングエコノミーは燃費性能を表し、産み出したエネルギーをいかに効率よく使えているかを示す指標と言える。いずれも、呼気ガス分析を伴うランニングテストによって正確に求めることができる。マラソンで優れた記録を残すには、この二つの能力が優れていることが不可欠だが、一流選手ではランニングエコノミーの優劣によって競技成績が左右される場合が多いのだ。

欧州スポーツ科学会議が発行する学術雑誌に昨年(2021年)掲載された論文で、育成年代から国際競技力を持つランナーまで、様々なカテゴリーの長距離走者の指導者121名を対象としたおもしろい実験がある[1]

その実験とは、ランナー5名のランニング映像を指導者に見せた上で、ランニングエコノミーが良いと思う順に並べてもらい、実測されたランニングエコノミーとの一致度を検証するものだ。つまり、指導者からみる効率の良い動きと、生理学的にみた効率の良い走りがイコールなのかを確かめている。その結果、ランニングエコノミーの優劣を正確に当てられた指導者は一人もいなかった。また、指導者の指導歴や現役時代の競技力、指導しているランナーの競技力といった違いも推測精度には影響しなかった。この結果は、日頃からランナーの動きを観察している専門家であっても、生理学的にみた効率の良い動きを当てられないことを意味している。

現に研究結果[2]を眺めても、ランニングエコノミーは身体の動きを力学的観点から検証するバイオメカニクス要因も関係すると言われているが、多様な要因の影響を受ける複雑な指標であり、ランニングフォームからだけではなかなか判断できないものである[3]

マラソンのパフォーマンスと関係する心拍数

では、レース中のランナーの状態をリアルタイムかつ妥当に、把握できる指標はあるのだろうか。その指標として最も可能性を秘めていると筆者が考えているのは、「心拍数」である。心拍数とは、心臓が1分間に拍動する回数のことで、運動の強度を表す。勾配や気象条件にも左右されるものの、ペースが上がると心拍数は増加する。また競技時間が長時間におよぶマラソンでは、たとえ一定ペースで走行していても、体温の上昇や脱水などの影響によって心拍数が徐々に上昇してくることが知られている。この心拍数が上昇してくる現象は、心拍ドリフトなどと呼ばれている。

筆者が携わった実験[4]では、レースの前半は一定の心拍を保った上で、25km地点以降に過度な心拍ドリフトを抑えられたランナーたちは、抑えられなかったランナーたちに比べると、マラソンで高いパフォーマンスを発揮していた[5]。また、ある一流マラソンランナーは、自身の持つ世界最高記録を更新したレースにおいて、30km地点まで心拍ドリフトを抑えた上で、その後はゴールに向けて徐々に心拍数を上げながら走っていた[6]。これに対し、ニューヨークシティマラソンに出場した50名のランナーを対象にしたデータによると、レース後半に失速してしまったランナーは、後半の心拍数を上げられない傾向にあった[7]。これらの研究を踏まえると、マラソンで優れたパフォーマンスを発揮するには、中盤までは心拍ドリフトを抑えながら走行した上で、終盤にかけては少しずつ心拍数を上げていく走りが求められる。

このように、心拍数はマラソンの鍵となる中盤以降のペース維持に密接に関係するため、レース中の心拍数をリアルタイムにモニタリングできれば、観戦者はランナーの余力度やレース後半の失速の有無を推察できそうだ。たとえば、「あの選手はもう心拍数が上がってきたから余裕がなさそうだ」「この選手は30キロ地点までほとんど心拍数が変わってないから、ラストスパートをかけられそう」といった予想を、客観的なデータをもとに楽しむことができる。

とはいえ、個人差やその日の体調にもより、心拍数が最大に上がっても、10キロ近くペースを落とさずに走り切れるランナーもいれば、すぐにペースが落ちるランナーもいる。この特徴は、競技が終わるまで誰が勝つか分からないという、観るスポーツの魅力とも言える不確実性を担保している。

心拍数はリアルタイムで表示可能

最大酸素摂取量やランニングエコノミーとは異なり、心拍数はウェアラブルデバイスでも正確に計測できる。また、計測された心拍数はBluetoothやANT(ANT+)といった無線通信プロトコルによって、数メートルから数十メートルの範囲であれば、ただちに伝送できる。つまり、技術的にはテレビの前の視聴者がレースや大会中の心拍数をリアルタイムで見るのも可能である。

実際、日本で開催された2015年のバレーボールワールドカップにおいて、中継を担当したフジテレビは、心拍計開発メーカーのPolar社と協力することで、選手の心拍数をライブ放映に合わせて提示する企画を実現させた。ただし、バレーボールは間欠的かつ瞬発性の高い球技スポーツであり、心拍数では運動負荷を把握しづらい競技であってか、最近ではこの取り組みは実施されていないようだ。

解説者×ICTの相互作用でワクワクドキドキを高める

誤解のないように言っておくが、筆者はマラソン観戦を楽しむ手段として、解説者の存在を疑問視しているわけではない。むしろ、元一流選手や指導者ならではの視点や感覚の言語化は、スポーツ観戦の魅力を高めている。その上で、たとえ経験豊富な解説者であっても正しく把握できない部分をICTで補うことができれば、マラソン観戦の魅力がさらに高まるのではと考えている。

なお、現行のルールでは、日本陸上競技連盟の公認レースにおいて、ランナーの心拍数をモニタリングすることは競技規則に反する可能性がある[8]。そのため、一流ランナーが集結する公式レースで今すぐに心拍数を可視化することは難しい。しかし、近年では、非公認の超スピードレースが企業のバックアップを受け開催されている。その代表例とも言えるのが、男子マラソンの現世界記録保持者のエリウド・キプチョゲ選手が2019年10月12日に非公認ながら人類で初めて2時間切りを達成したINEOS 1:59 Challengeである。このイベントはYouTube配信だけでも490万の視聴を集めた上、オーストリア・ウィーンのレース会場には12万人のファンが訪れた[9]。このような非公認レースでは、今すぐにもICTによって観る者をワクワクドキドキさせる取り組みは実現できる。

近年では画像処理技術を用いることで、非接触に心拍数を計測する技術開発も進んでいる。もしかしたら、世界トップのマラソンランナーの心拍数を我々がリアルタイムに見ることができ、これまで実現が難しかった全く新しいマラソンの楽しみ方を享受できる日は遠くないかもしれない。

KDDI総合研究所 招聘研究員 髙山史徳


[1] Cochrum, R. G., Conners, R. T., Caputo, J. L., Coons, J. M., Fuller, D. K., Frame, M. C., & Morgan, D. W. (2021). Visual classification of running economy by distance running coaches. European journal of sport science, 21(8), 1111–1118.

[2] Barnes, K. R., & Kilding, A. E. (2015). Running economy: measurement, norms, and determining factors. Sports medicine – open, 1(1), 8.

[3] Barnes & Kilding (2015) は、ランニングエコノミーに関するレビュー論文の中で、「ランニングエコノミーはしばしば単純な概念として認識されているが、実際には代謝、心肺、バイオメカニクス、神経筋系などを反映する指標である」と指摘している。また、彼らは、「生理学的またはバイオメカニクス的要因の個人差によって、あるアスリートにとってはランニングエコノミーを向上するアプローチであっても、他のランナーにとってはランニングエコノミーが悪化する可能性がある」とも指摘している。

[4] 嶋津航, 髙山史徳, 丹治史弥, & 鍋倉賢治. (2019). フルマラソンレースにおける Cardiovascular drift とパフォーマンスとの関係. 体育学研究, 64(1), 237-247.

[5] 同一のマラソンレースに14名の男子大学生ランナーが出場した。また、レースの1~2週間前に呼気ガス分析を伴うランニングテストを受けることで各自の能力を事前に評価した。ランニングテストで評価された能力と実際のレースタイムとの差分をもとにパフォーマンスの発揮度を検証した。

[6] Takayama, F. (2022) Heart rate response during visually impaired women’s marathon world record breaking race. Sport Performance & Science Reports, 162, 1-3.

[7] Best, A., & Braun, B. (2017). Using a novel data resource to explore heart rate during mountain and road running. Physiological reports, 5(8), e13256.

[8] 日本陸上競技連盟競技規則(TR)第1部 総則 競技者に対する助力 6.4.4 「競技者本人が携帯もしくは着用して使用する心拍計、速度・距離計、ストライドセンサー、その他の類似の機器。ただし、他者との通信が使用不可能なものに限る。」

[9] SPORT INDUSTRY GROUP. INEOS 1:59 NOTCHES LANDMARK VIEWING FIGURES. https://www.sportindustry.biz/news/ineos-159-notches-landmark-viewing-figures (2022年9月7日閲覧)