「足るを知る」古くて新しい一汁一菜の魅力
このところ健康に気遣い、食生活を見直している。半年ほど前から、一汁一菜の食事を実践し、「ハレとケ」を意識するようになった。「ハレとケ」とは、日本に古くからある時間の概念で、「ハレ」(晴れ、霽れ)は祭りや儀式、年中行事などの特別な日(非日常)を、「ケ」(褻)はそれ以外の普段の生活(日常)を表し、日本民俗学の創始者である柳田 國男 氏が見出したとされている。今回は、一汁一菜に代表される「ケ」の視点から、暮らしの豊かさについて考えてみたい。
「一汁一菜」を提唱している料理研究家の土井 善晴 氏は、普段の家庭料理においてハレ化が進んでいると指摘している。かつては「神様にお供えする食べ物」であったハレの日の料理が、今では油脂を多く含むステーキや焼肉、大トロなど単なるご馳走として食べられるようになり、そのような贅沢がすでに日常化されていると言う[1]。コンビニやスーパーでは、いつでも赤飯のおにぎりやお寿司が売られ、肉も日常的に食べられている。いつの間にか「特別」や「贅沢」が日常的になっている。
そうした中、ご飯を中心として、汁物と、香の物など今あるものをおかず(菜)として1品添えるだけの「一汁一菜」は、ハレ化した食事を日常に戻してくれる。本来の和食の形は一汁一菜であり、主食(ご飯)、汁物、主菜(魚か肉)、2つの副菜から成る、現代の一般的な食事である「一汁三菜」は、戦後、体格がすぐれない国民の栄養改善のために、西洋の栄養学を取り入れたことに始まる。これまで一汁三菜を疑問にも思わなかったが、現代では食の欧米化が生活習慣病や肥満の一因とも言われる中、手の込んだもの、手間のかかるものをおいしく作ろうなど考えることをせずとも、淡々とあるもので汁物を作り、余裕がある時、食べたいものがある時、作りたいという気持ちがある時にご馳走を作れば良いと思うようになった。半年間、一汁一菜を続けてみて、当たり前の日常、「ケ」を普段通りに過ごすことができること自体が幸せであると気づいた。一汁一菜は「足るを知る」豊かさであると私は感じている。
かけがえのない「普段通り」を守る
変わらない日常を守ることで暮らしを豊かにするための取り組みにも注目したい。
「盛る」や「映(ば)える」に象徴されるように、着飾ったり、華やかにしたり、見栄えをよくするために装飾をすることとは対照的に、普段通りに過ごすための取り組みをしている企業がある。資生堂は、あざや白斑、やけど跡や傷跡、治療などによる見た目の変化に対応した商品の開発やテクニックの紹介をしている。
資生堂はこのような取り組みを戦後から長く続けている。戦禍によるやけどを負った被災者のための外見ケアの化粧品の開発を当時の厚生省から求められたことから、日本初の特殊化粧料の開発を始め、1995年には光フィルター技術を応用し、通常のファンデーションではカバーしきれない濃いシミやあざをしっかりカバーし、自然に仕上げることができる部分用ファンデーションを発売。2006年には医療機関との連携で行ってきたセラピーメイクアップ活動を社会貢献活動として位置づけ、無償でのカウンセリング、施術を行う施設として、ソーシャルビューティーケアセンター(現ライフクオリティービューティーセンター)を資生堂銀座ビル内に開設した。
その後は、抗がん剤治療の副作用による外見の悩みに対応する商品と技術開発を重ねるなど、がん患者が自分らしく生きるための活動を続けている[2]。
また、おしゃれとは違う、医療用ウィッグというものもある。ウィッグと聞くと、装着することで見た目の印象を華やかに変えるイメージがあるが、治療や病気、やけどなど様々な原因で脱毛された方向けに、脱毛する前と変わらない印象にするためのウィッグである。これまで医療用ウィッグというと20~30万円と高価なものが多かったが、近年では数千円から購入できるものもあり、バリエーションも豊富になっている。医療が進歩し、働きながら病気の治療を続ける人も増えている中で、治療に伴う外見の変化による気持ちの辛さを和らげるアピアランスケアのニーズは高まっている[3]。
私たち人間は、過剰への備えを持ち合わせていない
先日、子どもと行った上野の国立科学博物館で展示を見ていて、はっとした。「私たちの身体は、余分な脂肪を蓄えることができるなど飢餓への耐性はあるが栄養過剰に対しての備えはない」という。旧石器時代の当時、その環境に適応すべく進化してきた私たちの身体は、文明がもたらした新たな生活環境に対応していない部分があるとのことである。高脂肪食がもたらす生活習慣病はその典型例である。人間は不足に対する耐性はあっても、多すぎることには弱いのである。
情報化社会の今日では、インターネットやソーシャルメディアなど膨大な情報が私たちに向けて流れているが、情報過剰になると、人は処理が追いつかなくなる。また、騒音や明るさなど強い刺激の中では、人は居続けることができない。最近では「光害 (ひかりがい)」というものが問題となっている。光害とは、都市化や交通網の発達等により屋外照明が増加することで、照明の過剰な使用・不適切な使用が増えた結果、眩しさ等の不快感や交通信号等の重要情報を認知する力の低下、野生動植物や農作物等への悪影響が生じている[4]。
「ケ」の視点から始まるイノベーションを
価値観が多様化し、もはや普通は存在しない。フィルターバブルと言われるように、自分の見たい情報しか見えなくなっている。個々人が描く豊かな未来も画一的なものばかりではないだろう。先進的なテクノロジーがもたらすような未来もあれば、古きを守り変えないことが価値となる未来もあるだろう。これからは自分の軸を持ち、それにフィットした価値観を見つけていく時代になっていく。
例えば、私にとっては、一汁一菜を習慣化することは乱れがちな食生活をリセットできる暮らしのペースメーカーのようなものである。土井氏は「毎日同じように味噌汁を作っても、毎日違う。一椀の中という有限の世界に無限の変化がある。「有限の無限」であるから楽しめる。」と言っている。整数のように加えていく豊かさではなく、時間や空間など限られた日常の中に、小数点のように無数の豊かさが存在しているということだと私は理解している。そうすることで、特別はもっと特別になり、日常はもっと豊かになる。
革新的で高性能、高機能な方向のイノベーションを「ハレ」のイノベーションとするならば、満ち足りた『普段』を続けるためのイノベーションは「ケ」のイノベーションと言える。先進的なテクノロジーで時代を変革するような「ハレ」のイノベーションも多いに意義があることだと思う。一方で、病気や事故、災害など、予期せぬことで、日常はいとも簡単に崩れ去ってしまうものでもある。日常を守る「ケ」の視点から始まるイノベーションにも可能性は無限にある。
KDDI総合研究所コアリサーチャー 畑中梨沙
◼️関連コラム
暮らしを豊かにするタイム“コントロール”マシン(2022-03-16)
https://rp.kddi-research.jp/atelier/column/archives/537
捨てない暮らし(2022-01-07)
https://rp.kddi-research.jp/atelier/column/archives/409
参考文献
[1] 土井善晴『学びのきほん くらしのための料理学』NHK出版
[2] 資生堂ライフクオリティメイクアップ https://corp.shiseido.com/slqm/jp/
国際商業オンライン「資生堂、新がん外見ケア情報共有に関するイベントをオンライン開催」(2022/3/2)
https://kokusaishogyo-online.jp/2022/03/72100
[3] 第84回がん対策推進協議会 国立がん研究センター中央病院
アピアランス支援センター藤間勝子「アピアランスケアの現状と課題」
https://www.mhlw.go.jp/content/10901000/001005568.pdf
[4] 国立天文台 周波数資源保護室「光害について」
https://prc.nao.ac.jp/freqras/light%20pollution.html