芸術祭に企業が出展
芸術祭(アートフェスティバル)とは、国内外のアーティストが参加するアートの祭典であり、数週間から数ヶ月にわたってその地域を巻き込んで開催される(芸術祭の詳細は文末を参照)。国内でも、「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ」、「瀬戸内国際芸術祭」、「横浜トリエンナーレ」などを筆頭に各地で様々な芸術祭が催されている。
今、芸術祭に出展する大企業が少しずつ増えている。協賛や後援ではない。作品を展示するのだ。これまでも、デザイン系のイベントであれば企業の出展は珍しくなかった。デザインは問題解決の手段であることを考えれば、問題解決を生業とする企業にとってデザインは不可欠な要素だ。ゆえに企業がデザインのイベントに参加するのは自然なことだろう。一方で、ファインアート(純粋芸術)が中心の芸術祭への出展となると、これまで企業には馴染みがなかった。しかしその状況も変わりつつある。
なぜ今、企業が芸術祭に出展し始めているのか?いくつかの事例を通じて2つの理由が見えてきた。一つは、テクノロジーの進歩が芸術表現を拡張しており、企業(特にテクノロジ企業)に参加ポジションが生まれたこと。そしてもう一つは、出展によって新しい顧客接点を作ろうとしていることだ。事例を交えてみていこう。
ソニーが札幌国際芸術祭2024に出展
札幌国際芸術祭は2014年に始まった3年に一度の芸術祭で、国内外のアーティストの作品が市内各所の会場に展示される。 初の冬季開催となった2024年、ソニーのデザイン部門であるクリエイティブセンターは、ソニーのテクノロジーを駆使した展示「INTO SIGHT」を披露した(図表2)。人が入れる大型キューブでの体験型展示だ。空間に足を踏み入れると、人の動きに合わせて光・色・音が変化する。万華鏡の中に入ったかのような体験である。
図表2 札幌国際芸術祭2024でのソニーの「INTO SIGHT」
出所:ソニー
この作品を支えているのはソニーの技術だ。暗所でも人の動きを捉えるイメージセンサー、高精細なLEDディスプレイ。また、人の動きをもとに映像を生成するのはソニーが出資する米エピックゲームズのUnreal Engine(アンリアルエンジン)だ。
この作品はもともとロンドンデザインフェスティバル2022に出展されたものだ。今回の札幌の展示では、新たなコンテンツが追加されており、札幌拠点のアーティスト・平川紀道氏とのコラボレーション作品も体験できる。
なぜソニーがこのようなかたちで芸術祭に出展したのか?同社クリエイティブセンター長によれば、ソニーのパーパス「クリエイティビティとテクノロジーの力で、世界を感動で満たす」が、本芸術祭の理念「アート、サイエンス、テクノロジーが交差する新しい表現を通して未来を考える」と重なる部分が多かったという[1]。そして、出展によって「新しい顧客との接点作り」につながると考えたのだ[2]。アートに顧客接点を求めるのは、次に紹介するマツダも同じだ。
マツダが浅間国際フォトフェスティバル2023に出展
浅間国際フォトフェスティバルは、2018年から毎年開催される芸術祭で、浅間山の麓にある複数の町が舞台となる。期間中は、国内外の写真家の作品が、屋内外の様々な場所に展示される。自然の中で芸術を体験できるのは芸術祭ならではだ。
2023年、軽井沢の隣にある御代田の会場では、本芸術祭の協賛企業でもあるマツダが、映像作家・写真家の柿本ケンサク氏とのコラボ作品を展示した。最新の「MAZDA2」のボディをキャンバスに、柿本氏の作品をプロジェクションマッピングする。鑑賞者の動きをAIが感知し、それに合わせて198通りの作品が投影される。この198という数字はMAZDA2で可能なカラーコーディネートの組み合わせ数でもある。
図表4 浅間山国際フォトフェスティバル2023でのマツダの展示
出所:マツダ
マツダが芸術祭に参加したのはなぜか?もともとマツダと、本芸術祭の運営企業であるアマナは、カタログ制作などで提携があった。アマナはビジュアルコミュニケーションを強みに、広告などのビジュアル制作、ブランディングソリューションを提供している企業だ。アマナのサービスクオリティを高く評価していたマツダは、別分野でもアマナとの提携機会を探していた。近年、「CAR as ART」というスローガンを掲げるマツダにとっては、アマナが運営するこのフォトアートイベントがその機会となった。そして「ここなら、いままでマツダと接点がなかったような若い人たちに車を見てもらうチャンスになる[3]」と考えたのだ。こちらも目指すのは「顧客接点」だ。
野村総研が横浜トリエンナーレで鑑賞アプリを提供
事例の最後は野村総合総研所(以下、NRI)だ。横浜トリエンナーレ2020の協賛メンバーであったNRIは、会場近隣のパブリックアートを巡るためのアート鑑賞アプリ「Public Art’s Light」を開発し来場者に提供した。同芸術祭のメイン会場となった横浜美術館とプロット48の間は600メートルほど離れており、行き来するには時間がかかった。そこで、道案内をしながら、道中の様々なパブリックアートを楽しめるアプリを開発した[4]。NRI自身が作品展示をしているわけではないため、前述のソニーやマツダと毛色は異なるものの、鑑賞アプリを通じて作品展示に関わった。
アプリを起動し、公式ポストカードのQRコードを読み取ると、みなとみらいの地図が出てきて、近隣企業が所有するアートを巡りながら移動できるルートが複数通り表示される。作品の作者、ストーリーだけでなく、作品をポストカード上にARで表示することもできる。
NRIはなぜこのような形で芸術祭に関わったのか? NRIによれば、「XRで何かできないか」という技術的なシーズが起点となり検討がスタートしたという[5]。3次元表現が可能なXR技術なら時間と空間を飛び越えた体験を提供できると考え、横浜美術館や周辺企業と協働して企画を進めていった。これもテクノロジーによって表現手段の幅が広がったことがベースにある。
なお、アプリでは、データ活用によるマーケティングへの応用も視野に入れている。アプリで取得したデータを活用して近隣の商業施設のサービスを向上させるなどの構想があるようだ(こちらも広く見れば、商業施設への新たな顧客接点の創出に発展するかもしれない)。
アートとテックで顧客接点を
なぜ大企業が芸術祭に出展し始めているのか。紹介した事例を振り返ると、その背景には以下の2つの理由がある。
- 「テクノロジーの進歩が芸術表現を拡張しており、企業(特にテクノロジー企業)に参加ポジションが生まれた」。紹介した3事例はいずれもテクノロジーがベースになっている。高精度なイメージセンサー、AI、XR、いずれもひと昔前にはなかった表現手段だ。テクノロジー企業が芸術分野に関わりやすくなった。また、芸術表現が広がったことで、マツダのように自社商品をキャンバスのように使うことも可能になった。
- 「出展によって新しい顧客接点を作ろうとしている」。特にB2C企業のソニー、マツダはこれが動機になっている。アートが新しい顧客、特に若い顧客とのタッチポイントになり始めたということだろう。アートが企業のブランディングに本格的に寄与し始めるのもそう遠くないかもしれない。
アートとテクノロジーで新しい顧客接点を作る。以前のコラムで紹介したGINZA SIXが既にその成功例を作っている。GINZA SIXは館内の吹き抜け部分に大規模なデジタルアートを展開することで、お金に余裕のある若い層を新たに招き入れることに成功。この奏功もあり、2021年12月、コロナ禍であったにも関わらず、開業以来の最高売上を達成した[6]。
企業とアートの関係が近くなりつつある。テクノロジーが、その接面で一つの重要な役割を担っている、という見方もできるかもしれない。
もうすぐ第8回横浜トリエンナーレが開幕だ(2024年3月15日〜6月9日)。ここでも企業の新しい取り組みが見られるのではないか。
KDDI総合研究所コアリサーチャー 沖賢太郎
参考〜国際芸術祭とは
国際芸術祭とは、国内外のアーティストが参加するアートの祭典であり、数週間から数ヶ月にわたって開催地域一帯を巻き込んで開催される。
世界の芸術祭として著名なのは、1895年に始まった世界最大にして最古の芸術祭「ベネチア・ビエンナーレ」、ドイツのカッセルで5年ごとに開催される「ドクメンタ」など。
国内でも越後妻有の「大地の芸術祭」、瀬戸内海の島々で開催される「瀬戸内国際芸術祭」、関東なら「横浜トリエンナーレ」や「東京ビエンナーレ」などがある。
国際芸術祭に明確な定義はないが、以下の傾向がある[7]。
・現代アート中心:現代アートを中心として、科学、建築、映画、音楽、などから成る異種混交的内容
・継続的に開催:ビエンナーレ(2年に1回)、トリエンナーレ(3年に1回)形式をとることが多い
・国際的:作家が世界から集まることに加え、ディレクターやキュレーターなどの関係者も多国籍チームになる
・大規模:参加する作家の数、作品のスケール、巨大作品を収める会場、開催都市を巻き込んだ空間的広がり等、通常の展覧会を大きく上回る規模になる
・公的資金の注入:多くの場合開催都市や開催国などから公的資金が導入される
関連コラム
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https://rp.kddi-research.jp/atelier/column/archives/1332
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https://rp.kddi-research.jp/atelier/column/archives/1152
参考文献
[1] IT media「ソニーのデザイン部門が札幌国際芸術祭に参画 クリエイティブセンター長に狙いを聞いた」(2024年02月20日)
https://www.itmedia.co.jp/business/articles/2402/20/news111.html
[2] 日経新聞「ソニーグループ、札幌でアート空間 技術・エンタメ融合」(2024年2月8日)
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOFC054AQ0V00C24A2000000/
[3] Response「マツダ2 に198通りのプロジェクション…浅間国際フォトフェスティバル2023で柿本ケンサクとコラボ」(2023年7月17日)
https://response.jp/article/2023/07/17/373336.html
[4] 野村総研「XR技術とアートで魅力的な街をつくる――ヨコハマトリエンナーレ2020で次世代の価値伝達体験」(2020/09/15)
https://www.nri.com/jp/journal/2020/0915
[5] 野村総研「ヨコハマトリエンナーレ2020連携プログラム アート鑑賞アプリ「Public Art’s Light」」
https://www.nri.com/jp/co_creation/case4
[6] 日経クロストレンド「GINZA SIXが開業以来の最高売り上げ 支えるのは20~30代富裕層」(2022年6月27日)
https://xtrend.nikkei.com/atcl/contents/18/00651/00003/
[7] 書籍「アートマネージメントを学ぶ」(新見隆 他)、「文化政策の展開」(野田邦弘)