我々生活者にとってミュージアムとは展示品を鑑賞する場所だ。しかし世界のミュージアムには、それ以外の特別な体験機会を提供しているところがある。そしてこれがすごいのだ。
このコラムシリーズでも何度も取り上げているが、衣食足りた現代では体験の重要度が増している。世界のミュージアムが提供するスペシャルな体験とはどのようなものなのか。ミュージアムの新たな在り方のヒントを探っていこう。
モナ・リザ(本物)の前で乾杯
2019年4月、フランスのルーブル美術館とエアビーアンドビーが規格外のサービスを企画した。ある一般向けコンテストの優勝者とその同伴者をルーブル美術館での1組限定の宿泊に招待したのだ[1]。以下が大まかな旅程だ。
①同館キュレーター同伴による1組だけの館内貸切ツアー。歴史的名画たちがゲストを迎える。これはこれですごい特典だが、ある意味想像の範疇だろう。異次元ゾーンに突入するのはこの後だ。
②ディナーの前の食前酒の乾杯はモナ・リザと。世界一来館者数が多いルーブル美術館が所蔵する世界一有名な絵画を独り占めしての乾杯だ。普段、モナ・リザの展示場は常に人でごった返しているため、まともに鑑賞することすら困難だ。それをお酒を飲みながらゆったりと鑑賞できるのだ。飲み物が缶チューハイだったとしても格別の体験になりそうだ。
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出所:エアビーアンドビー
③ディナーはミロのビーナスと。ヘレニズム期の至宝と供にする食事も贅沢を超えている。
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出所:エアビーアンドビー
④王宮の名残りがある部屋でプライベートコンサート。ルーブル美術館は、もともと王宮「ルーブル宮殿」であった。太陽王ルイ14世もこの部屋で過ごしたかもしれない。
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出所:エアビーアンドビー
⑤そして眠る場所は、中庭にあるルーブル美術館を象徴するピラミッド内の特設ベッドルームだ。ここで熟睡できるかどうかはわからないが。
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出所:エアビーアンドビー
ちなみにこのコンテストの内容は、用意されたある質問に答えるというものであった。その質問とは「あなたがモナ・リザのパーフェクトなゲストである理由は何か?」。この企画に世界中の182,000人超が申し込み、最終的にイギリスの若いカップルが宿泊を勝ち取った。それがこのおふたりだ(回答内容は非公開)。
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出所:エアビーアンドビー
コンテストを勝ち取ったのは女性の方で、アート作品の保存技法などを学ぶ学生のダニエラさんだ。宿泊後に彼女はこう語っている。「予想外で信じられない体験でした。この特別な機会に感謝しています。イベントの内容は盛りだくさんで、夜は数秒で眠りに落ちました。[2]」あのような場所でも意外と熟睡できるようだ。
作品の前で眠りにつくZEN体験
次は、ニューヨーク・マンハッタンのルービン美術館。ここは、ヒマラヤやインドの美術作品を収蔵・展示する美術館だ。このルービン美術館が2011年より毎年期間限定で開催しているのが「Dream-Over(お泊まり会)」である。展示作品の前に寝具を持ち込んで一晩を過ごすというものだ。
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出所:ルービン美術館
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出所:ウォールストリートジャーナル
事前に宿泊者は、生活や夢に関するアンケートに回答する。その回答内容に応じて、展示作品が割り当てられ、宿泊者はその作品の前で一晩を過ごす。眠る前には、チベット仏教の僧侶と心理学の博士による夢に関する対談イベントもある。参加者は18歳以上、料金は1人140ドルのアートとZENの体験だ。
シロナガスクジラの下で踊り明かす
もう一度ヨーロッパに話を移す。ロンドン自然史博物館の名物企画「サイレントディスコ」だ。巨大なシロナガスクジラの骨格標本の下がダンスホールとなる。参加者には光るワイヤレスヘッドフォンが配布され、そこから流れる音楽で踊る。会場では3人のDJがそれぞれ独立したチャンネルでプレイしており、参加者はチャンネルを自由に選べる。もちろん本格的なバーもある。料金は大人30ポンド。同館のHPより申し込める。
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出所: マイロンドン
またこの博物館は、館を様々な用途に貸し出していることでも知られている。例えば、クリスマスパーティのディナー会場になったり、結婚式会場になったりと。恐竜とのディナーも可能だ。
同館はこれらの収益を博物館の運営や学術研究に充てている。イギリスのミュージアムの多くは入場無料であり、助成金や寄付などで運営されている。しかしそれらに頼るだけでなく、ミュージアムならではの価値を活用することで、積極的に稼ぎにいく姿勢は、採算に悩む多くのミュージアムの示唆となるのではないか。
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出所: ロンドン自然史博物館
国内ミュージアムは限定的
一方国内では、海外のようなミュージアムの積極活用はあまり見られない。場所を貸し出しているケースもあるが、展示物があるスペースではない。また利用用途も企業のイベント向けであることが多い。一般生活者向けに、展示物のあるミュージアム空間での特別な体験を提案する海外ミュージアムとはやや対照的だ。
例えば、東京国立博物館は様々なイベントのために、館内のラウンジとエントランス部分を有料で提供している。後者は、巨匠谷口吉生氏の建築で有名な法隆寺宝物館のエントランスであり大変に素晴らしい空間だが、ここには同館の展示物はない。また、ラグジュアリーブランドのエルメス、カルティエ、ブレゲなどがここでレセプションパーティーや発表会を開催しているが、クローズドなイベントであることが多い。このような活用もクールで素晴らしいが、それらとは別に、もっとミュージアムならではの空間の使い方や、多くの人に向けた体験の提案があっても面白いのではないかと思う。
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出所: ファッションプレス
次回は子供たちのためのスペシャルな体験
海外事例を中心に、ミュージアムが提供するスペシャルな体験を見てきた。これらは、人々にミュージアムをより身近に感じてもらえるとともに、ミュージアムの新しい収入源にもなるという点でも見事だ。
次回は後編として、世界のミュージアムが子供たちに向けて提供するスペシャルな体験機会に着目したい。こちらも楽しそうですよ。
KDDI総合研究所コアリサーチャー 沖賢太郎
◼️関連レポート
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◼️参考文献
[1] Airbnb, 2019.04.03, A Night with Mona Lisa
https://news.airbnb.com/wp-content/uploads/sites/4/2019/04/Louvre-press-release-EN.pdf
[2] Airbnb, 2019.05.01, A Night with Mona Lisa: The Winners’ Night
https://news.airbnb.com/a-night-with-mona-lisa-the-winners-night/