サムスンが世界で展開するアート配信事業〜数百万ユーザーに向けた「アートのある生活」

サムスンがTV事業でアートを活用

前回は大企業が芸術祭に出展し始めていることを取り上げた。引き続き「大企業、テック、アート」をテーマにしたい。今回ピックアップしたのは韓国大手のサムスン電子(以下、サムスン)だ。同社は世界42カ国において、TV事業の中でアートを活用している。しかも、商品の改良とサービス内容の拡充を続けており、力の入れようがうかがえる。

しかし、このニュースは日本では断片的にしか報じられない。それもそのはず、サムスンは2007年に日本でのTV事業から撤退しており、現在も国内でのTV販売はしていない。つまりこのサービスも国内では未提供だ。ゆえにこのサービスが報じられることも少ない。

サムスンが世界に向けたTV事業の中でどのようにアートを使っているのか、皆さんと共有したいと思う。

額縁型TVにアート作品を配信する

2017年に始まったそのサービスは、自宅のTVに、世界中のミュージアムが所有する歴史的名画などを映し出し、絵画のように部屋に飾れるというものだ。サービスを構成するのは、専用TV「The Frame」と、アート作品をラインナップする「Samsung Art Store」だ。

まず、専用TV「The Frame」はこのアートサービスを前提に開発されたものだ。現行モデルの価格は600米ドル(32インチ)〜4,300米ドル(85インチ)。名称の「The Frame」には、アート作品を飾るためのものという意味が込められており、外観はまさに額縁そのものである。もちろん通常のTV試聴も可能だが、TVを観ていない時に「Art Mode」に切り替えると、アート作品の展示に変えられる。この「Art Mode」は、一般家庭の標準的な照明条件下で、オリジナルの絵画や写真に近い色を再現できるよう設計されている。

図表1 サムスンの額縁型TV「The Frame」
出所:サムスン

そして、このTVに映すアート作品は「Samsung Art Store」で選べる。月額4.99ドルで、800人超のアーティストによる2,300 点超のアート作品から選定できる。例えば、ゴッホの「星月夜(1889年)」、クリムトの「接吻(1908年)」、フェルメールの「天文学者(1669年)、さらにはダ・ビンチの「モナリザ(1503年)」など。これらを自由に選んで映してもいいし、キュレーターがテーマに沿って選定した作品集をプレイリストのように映すこともできる。

これら作品は、提携する世界の芸術機関によって提供されている。提携先には仏ルーブル美術館、英ヴィクトリア・アンド・アルバート美術館、蘭ファンゴッホ美術館、西プラド美術館などがある。

もちろん、現物とデジタルは別物だ。本物を観るに勝る体験はないだろう。一方で、歴史的名画を家に置くことは、ほとんどの人の場合不可能だ。しかしデジタルならこれができるのだ。

図表2 「The Frame」でアート作品を映す様子
出所:サムスン

継続的なサービスのアップグレード〜数百万世帯がサービスを利用

サムスンは、専用TV「The Frame」の性能を年々向上させつつ、「Samsung Art Store」の作品ラインナップも継続的に拡充している。

「The Frame」の2022年モデルでは、マット状のディスプレイを採用することで、TV画面特有の反射を抑え、見る角度が変わった際にも作品鑑賞体験を保つ工夫が施された。さらに2024年モデルでは、色の表現において、パントーンの「Pantone Validated ArtfulColor 認証」を取得[1]。色の再現性を高め、より現物に忠実な色彩表現ができるようになった。本モデルは、米ラスベガスの家電見本市CES 2024でも展示された。最新の販売台数は非公開だが、2021年末時点の累積販売台数が200万台超となっている[2]

「Samsung Art Store」で提供する作品数も増えている。直近1年だけでも、美術館をはじめとするさまざまな芸術機関との提携はこれだけ増えている(図表3)。

図表3 Samsung Art Storeの新たな事業提携(直近1年)
出所:サムスンプレスリリースをもとに筆者作成

デジタルサービスであるため、利用者のニーズに沿ったサービス拡充もやりやすい。例えば、2023年8月にダリの作品が追加されたのは、それまでサービス利用者による検索数が最も多いアーティストの一人がダリであったからだ[3]。ニーズを受けての提携である。このあたりはデジタルの強みだ。

「Samsung Art Store」のサブスクユーザーの数は非公開だが、メトロポリタン美術館との提携発表の際のプレスリリースでは、「Samsung Art Storeが同館との提携によって著名作品を世界の数百万の家庭に届けられることは光栄です」とある[4](幅のある表現なので保守的にみた方がよさそうだが)。また、前述のようにサービス拡充が続いているということは、ユーザー数も継続的に伸びている可能性がある。

なお、本事業の規模については公開されてないため、知り得た情報をもとに推測してみる。仮に1,000ドルのThe Frameが年間50万台売れて、サブスクユーザーが200万人いたとすると、年間売上は6.2億ドル(917億円[5])となる。サムスンにとっても取り組むに値する数字になっているのではないだろうか。

これまでにも他社のサービスで似たようなものはあったし、今もある。しかし、専用TVを自社で開発し、年々それをバージョンアップさせつつ、グローバルなネットワークを使って世界の主要芸術機関との提携を増やすことで作品ラインナップの拡充を進めるサービスは他にない。

エンターテインメントとしてのアート

そもそもサムスンはなぜこのようにアートを活用しているのか?エンターテインメントを注力領域とするサムスンにとっては、「エンターテインメントとしてのアート」という位置付けがあるようだ。以下は、メトロポリタン美術館との提携のときの、同社幹部による見解だ。

「サムスンでは、技術革新を通じてエンターテインメント体験を再定義することに常に取り組んでいます。メトロポリタン美術館との提携によって、ユーザーが同館の重要な作品を、自宅のデジタルキャンバスを通じて楽しめるようになることを嬉しく思います。[6]

(サン・キム氏、サムスンエレクトロニクス北米事業部門上級副社長・ゼネラルマネージャー)

ちなみに、事業から離れたところでも、アートの世界でサムスンの名前を目にすることがある。例えば、2004年にサムスンがソウルに建てた私立美術館「Leeum」。ここでは、サムスン創始者であるイ・ビョンチョル氏の生前のコレクション約1.5万点を展示している。韓国の古美術から、世界の現代アートまで幅広く揃える。また、すでに閉館しているが、ソウル中心部にはサムスン美術館プラトー(1999年〜2016年)という施設もあった。ここでは2013年に村上隆も展覧会を開いている。また、サムスン前会長で2020年に亡くなったイ・ゴンヒ氏も著名なアートコレクターであった。総額26兆ウォン(約2.9兆円[7])もの遺産のうち、美術品2万点超が、遺族によって同国国立現代美術館に寄贈された[8]

「三方よし」のビジネス

このサービスをあらためてビジネスとして見直すと「三方よし」のモデルといえる。ユーザーは自宅に世界中の著名作品を飾ることができ、ミュージアムはライセンス収入を得ながら所蔵作品を多くの人に届けられる。そしてサムスンは、新しい顧客層にリーチできるとともに、物販収入(The Frame)だけでなく、サブスク収入(Samsung Art Store)を得られる。メーカーによる「物販×サブスク」のモデルは、ゲームやロボットなどのエンターテインメント領域ではよく見られるが、TVでは珍しい。サムスンの挑戦なのかもしれない。

アートビジネスは世界視点で

「大企業、テック、アート」を切り口に、今回はサムスンによるアート活用をみてきた。事業の中でアートを使い、事業的な成果につなげている点で、国内の動きよりも進んでいると感じる。

冷静に考えて、土壌がないところに芽は出ない。それを踏まえれば、海外にはアートが事業になる土壌があり、サムスンはそれをうまくとらえ、自社のリソースを投下したと考えるのが合理的ではないか。海外がそのような環境ならば、グローバルに事業を展開している企業にとっては一つの重要な視点になり得る。

KDDI総合研究所コアリサーチャー 沖賢太郎

(参考)
「The Frame」は、日本では公式販売はされていないが、海外ECサイトから購入しようと思えばできる(日本のTV周波数帯をカバーしているかは不明)。しかし、日本からのArt Storeへのアクセスは、リージョンロックがあるためできないようだ。惜しい。

◼️関連コラム
大企業が芸術祭に出展する理由〜アートとテクノロジーで新しい顧客とのつながりを(2023-3-6)
https://rp.kddi-research.jp/atelier/column/archives/5049

◼️参考文献
[1] Samsung 「2024 The Frame Receives First Pantone® Validated ArtfulColor Certification for Color Fidelity」(1/16/2024)
https://news.samsung.com/us/the-frame-receives-first-pantone-validated-artfulcolor-certification-for-color-fidelity/

[2] Samsung「Samsung Electronics Sold One Million Units of ‘The Frame’ in 2021」(November 25, 2021)
https://news.samsung.com/global/samsung-electronics-sold-one-million-units-of-the-frame-in-2021

[3] Fast Company 「How Samsung brought 12 of Dalí’s surrealist paintings to the small screen」(08-16-23)
https://www.fastcompany.com/90939164/how-samsung-brought-12-of-dalis-surrealist-paintings-to-the-small-screen

[4] Samsung 「Samsung Brings World-Class Artwork to The Frame Through Collaboration With The Metropolitan Museum of Art」(20-09-2023)
https://news.samsung.com/ca/samsung-brings-world-class-artwork-to-the-frame-through-collaboration-with-the-metropolitan-museum-of-art

[5] 為替レート 1米ドル=147.91円(2024年3月14日)

[6] Samsung 「Samsung Brings World-Class Artwork to The Frame Through Collaboration With The Metropolitan Museum of Art」(20-09-2023)
https://news.samsung.com/ca/samsung-brings-world-class-artwork-to-the-frame-through-collaboration-with-the-metropolitan-museum-of-art

[7] 為替レート 1ウォン=0.11円(2024年3月14日)

[8] 日経新聞「サムスン前会長の美術遺産、世界巡回へ 韓国芸術に光」(2024年1月8日)
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGM093JT0Z01C23A2000000/