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川濵昇先生に聞く——会社法・独占禁止法・プラットフォーム規制、そして生成AIへ (第1回) 数学志望から経済法への転身

執筆者: Nextcom編集部
カテゴリ: インタビュー
発行日: 2026/08/17

「川濵昇先生に聞く——会社法・独占禁止法・プラットフォーム規制、そして生成AIへ」と題して、Nextcom監修委員会委員長を務める追手門学院大学の川濵昇教授(経済法)へのインタビューをお届けします。数学基礎論への憧れから法学へ、会社法から独占禁止法へ——「コーポレート・ガバナンス」という言葉の誕生やプラットフォーム規制論の原点を間近で見てこられた研究の歩みと、生成AIが法学研究・法実務にもたらす変化について伺いました。本インタビューは6回にわたって掲載いたします。

(2026年5月28日収録。聞き手:Nextcom編集長 加藤尚徳)

数学基礎論への憧れと挫折——理学部から法学部へ

加藤:本日はありがとうございます。川濵先生にお話を伺うと、いつも非常に面白いお話を教えていただけるんですね。オフィスに戻って「川濵先生にこういう話を伺った」と伝えると、「そんな面白い話があるのに、なんでお前だけ聞いてくるんだ」と言われるほどです(笑)。まず入り口として、これまでのご研究の歩みについて、例えば、なぜ法学を志されたか、なぜ経済法を志されたか、といったあたりからお話しいただけますでしょうか。

川濵先生:私は1977年に京都大学の理学部に入学しました。当初からやりたかったのは数学で、数学科に進んで数学基礎論(数理論理学)を勉強すると心に決めていたんですね。ちょうど77年に数学基礎論の標準的な教科書(前原昭二『数学基礎論入門』(朝倉書店 1977)が出て、それや証明論、集合論の日本語で刊行されていたテキストを、丁寧にノートをとりながら読みふけっていました。私が入ったのは理学部のフランス語クラスで、当時、数学をやる人間は「ブルバキ」(フランスの若手数学者集団のペンネームで、彼らによる標準テキストのこと。)があるからフランス語をやる、ということで、数学志望の人が多かったんです。

数学の勉強会などにもいろいろ出ていたのですが、周りに桁違いに数学の優秀な人間がいるのを見て、「これはやっていけるのだろうか」と思いました。さらに言うと、数学基礎論に関心を持っている人間が周りに誰もいない。すごく優秀な親しい友人に基礎論の話を向けたところ、後に計算量の理論と知る話を聞かされました。証明可能かどうかより、現実的に可能な時間で解決できるかどうかの方が重要であり、それに関する理論の方が面白いと諭されたのです。純粋数学の秀才から、自分の関心の有益性に理論的な問題点を突きつけられ、動揺しました。数理的センスがあれば、計算量の理論も学習しようと思うのでしょうが、そのセンスもありませんでした。その上、どうやら京都大学の数学科に進んでも、基礎論の講義や演習・講究もなさそうで、そもそも勉強できるのか不安にかられました。入学前には、数理解析研究所の助手に基礎論専攻の方がいるという情報を得ていたのですが、その方はもう海外に出ておられた。好きな勉強が出来るなら、研究者になれなくとも勉強を楽しんだ上で高校の数学教師になるという考えでいましたが、いくら楽しくとも一人で自習するだけだとしたら意味があるのか。「これからどうなるんだろうか?」と思い、ある論理学の先生に「数理論理学をやるにはどうしたらいいんですか」と聞いたら、「それは留学することだね」と言われました。本当にやる気があるなら大学のカリキュラムなど気にせずなんとかやり抜くのでしょうが、そこまでの積極性も才能もありませんでした。「俺は今後どうすればいいんだ。ともかく、勉強だけを楽しみにしていたが、大学院にも行けず、職もないことになるんじゃないか。」と。挫折というのもおこがましい幼稚なレベルでの脱落です。そこで数学を諦め、次の分野を考えました。私は営利企業で活動する自分というのがあまり想像できていなかった。いっそ違う世界へ、ということで文科系を考えました。文科系の学者になる気も適性も全くなかったので、その後に公共セクターへの職業展開を考えると法律がよいかなと考えました。理学部のイメージで法学部なら公民系の社会科の先生になる道があるかなと考えて、法学部に移ってから社会科の教員免許を取ろうとして教育実習にも行っています。当時はよく考えた末での転部でしたが、今更ながら何をしたかったのか分からない話です。

加藤:数学志望から法学へ、というのは意外なご経歴ですね。法学部に移られてからはいかがでしたか。

川濵先生:意外なことに、法律が面白かったんですよ。2年生、3年生と楽しく法学を勉強していたのですが、唯一興味をもてなかったのが商法関係でした。先ほど言ったようにビジネスにあまり関心がないものですから、あまり面白く感じられなかった。これを勉強するには、厳しい先生のもとで激しく勉強するしかないだろうと思い、当時、厳格で、非常に商法の勉強になると聞いていた龍田節先生のゼミに入ったんです。

川濱先生写真
追手門学院大学法学部教授、Nextcom監修委員会委員長を務める川濱先生

龍田ゼミとの出会い——商法が面白くなった

川濵先生:そうすると、今まで面白くないと思っていた営利企業の動きがすごく面白い上に、会社法が、営利企業に関わる人々のウェルフェア(厚生)を増大させる方向でコントロールするという観点で、いかに精緻な仕組みがあり、動いているかということが次々に見えてきました。しかも龍田先生は、企業活動を市場によって適正化するという観点から独占禁止法と証券取引法を特殊講義で教えておられました。ゼミ生の大半と一緒にそれらを学んでいました。

龍田ゼミに参加するようになって、企業をその合理的な行動を前提に制御していくことをもっと勉強したくなり、およそ文科系の研究者には向いていないと思っていたのに、無謀にも「研究者になりたい」と思うようになりまして、龍田先生に研究者になりたいと申し出たんです。その時、書きたい具体的テーマがあった会社法にするか、一番関心をもっていた独占禁止法にするかを迷っており、先生にご相談したところ、「独禁法は就職がないからね」と言われて、「とりあえず会社法にします」となりました。あるところに書いたときには「龍田先生の薦めにより、まず会社法から勉強するのがよいと言われた」ということにしているんですけれども、かなりお恥ずかしい理由で最初の分野を選択しました(笑)。

「コーポレート・ガバナンス」誕生の目撃者として

川濵先生:会社法の研究で私がやっていたのは取締役の責任や企業買収の問題で、これはいわゆるコーポレート・ガバナンスに関わる問題として重要です。ガバナンスという言葉は今では非常に拡散していますけれども、私はガバナンスという言葉が日本に普及するのを目の前で見ています。

コーポレート・ガバナンスという言葉は、経済学の人であれば、オリヴァー・イートン・ウィリアムソンの取引費用の経済学の中で行動を制御する統治システムという意味で用いられた言葉として有名だと思いますが、会社法の世界では、1982年にアメリカ法律協会(ALI)——リステートメント、つまりアメリカの判例法を条文化したような形で再定位する作業を最大の業務とする権威ある団体ですが——が会社法のプロジェクトを開始しており、その第1次試案(テンタティブ・ドラフト)が出たときの題名が「コーポレート・ガバナンスとストラクチャー」でした。そこで初めてガバナンスという言葉が出てきたんです。ストラクチャーというのは、会社の基本的な仕組み——総会があり、取締役会があり、どのような権限があるか——のことで、これはガバナンスの骨格ではあるんですけれども、ストラクチャーという言葉での構想は、ALIの企画のチーフ・リポーターだった会社法学者のメルヴィン・アイゼンバーグ——龍田先生のご友人でもあるのですが——が考えていたものでした。それに対してガバナンスという言葉が付いたのは、ウィリアムソンがALIのアドバイザリーに入っていたので、その影響もあったのか、と思いますが、「ストラクチャー」を動的に捉えるものと言えます。単に「ストラクチャー」というだけなら、会社の基本構造をどう定義するかという話で終わってしまう。しかし、企業が適切な目的のために行動するように制御すること——今の言葉で言えば、ステークホルダーの利益のために行動するように制御すること——という観点からいくと、「ストラクチャー」があって、ステークホルダーらがどのような形で責任追及できるのかという基本的メカニズムが入って、初めて「ガバナンス」が意味を持つと思います。

取締役会の基本的構造はガバナンス問題の中核だけれども、制度の担い手が誰にどういう形で責任を負い、選任・解任され、責任追及されるのかという制度的枠組みがあって初めて動く、それによってはじめて行動の制御という形におけるガバナンスの目的が達成できるという観点がALIによって説得的に提示されました。このプロジェクト以降、制度のダイナミズムの理論的検討が拡がりかつ深化し、コーポレート・ガバナンスという言葉が世界的に流行しました。他分野へもガバナンスという概念が拡散していったという感じですね。

ちなみに、ガバナンスという言葉が出てきた頃には、当時辞書を調べても今の意味は見当たりません。OED(オックスフォード英語辞典)の当時のサプリメントを見てもはっきりしない。現在の意味に近い形で使われていた特殊な先例として唯一見つけたのが、1976年のイギリス労働党の綱領の中の用例でした。今の新版のOEDには、その後の展開もきちんと入っていますけれどもね。それくらい、新しい概念を取り込むために、古い言葉を用いてできた言葉だったように思いました。

加藤:言葉の誕生から普及までを、まさに定点観測されていたわけですね。そこから経済法へは、どのように移られたのでしょうか。

経済法への転身——京大に経済法講座ができるまで

川濵先生 会社法を中心に研究をしていたのですが、独占禁止法への関心も止まず、修士を終えた段階で、同じ龍田門下生で独禁法を専攻していた泉水さん(泉水文雄神戸大学名誉教授・公正取引委員会委員)もすでに入っていた研究会に参加しました。いわば趣味の範囲で経済法の勉強をしていました。大学院は修了ではなく、単位取得退学です。その先どうするかというときに、龍田先生から「京大に経済法の講座を作るから、残らないか」と言われました。86年に助手になったものの、まだ経済法の論文が全くなかったので、そこから経済法の研究を始めて、なんとか助手論文を仕上げ、88年に助教授に昇任しました。

(次回に続く)

川濱先生写真
川濱先生(左)とNextcom編集長加藤(右)

川濵 昇(かわはま のぼる)
追手門学院大学法学部教授。
1959年生まれ。専門は経済法。京都大学法学部卒業。京都大学大学院法学研究科教授を経て現職。Nextcom監修委員会委員長。