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松原仁教授に聞く:ICT・データ活用は「観光」をどう変えるか①

執筆者: Nextcom編集部
カテゴリ: 特集連動記事
発行日: 2026/05/26

Nextcom 66号「観光」を特集するにあたり、AI研究をリードしてきた京都橘大学の松原仁教授にご監修をいただき、お話を伺いました。Nextcom+では3回にわたって掲載いたします。

(2026年1月29日 京都にて。聞き手:Nextcom編集長 加藤尚徳)

はじめに:情報科学の研究者が「観光」に集う理由

加藤:本日はお時間をいただきましてありがとうございます。先日、観光情報学会に参加させていただき、非常に活発な議論に感銘を受けました。特に、私のように社会科学系のバックグラウンドを持つ者から見ると、情報科学やAIを専門とする先生方が、これほど熱心に「観光」というテーマに取り組んでいらっしゃることに、良い意味で驚きを覚えました。なぜ今、情報科学の研究者が「観光」に注目しているのでしょうか?

松原先生:面白い傾向ですよね。学会がシーンとしてしまうこともある中で、観光情報学会は質疑が活発で、座長が困らないくらいです(笑)。若い方の発表も非常に多いですね。

ご質問の点ですが、まず人脈的な背景として、学会創設者である北海道大学の大内東(おおうち あずま)先生がAI研究の第一人者だったということがあります。大内先生の人脈で、北大系のAI研究者が多く参加し、その弟子たちが今、学会の中核を担っています。私もはこだて未来大学に赴任した縁で、大内先生からお誘いを受けました。

しかし、より本質的な理由は、研究環境の変化にあります。大きく2つありまして、1つは、スマートフォンの位置情報やSNSの投稿、街なかのカメラ映像など、分析対象となる「データ」が爆発的に増えたこと。もう1つは、ディープラーニングに代表されるAI技術の進化で、そうした複雑なデータを分析する強力な「武器」を手にしたことです。データと分析手法、この両輪が揃ったことで、これまで理工系の研究テーマとしては少しマイナーだった観光が、現実社会に根差したリアルな研究フィールドとして、情報科学の研究者を惹きつけているんです。

加藤:なるほど、データと分析手法の進化が大きなきっかけになっているのですね。私が大学院で情報学を学んでいた頃は、文系の観光学と理系の情報科学は、まだ少し距離があるように感じていました。

松原先生:そうですね。従来の理工系の範囲からは、観光は少し外れたテーマでした。しかし、最近は大学で学生が卒業研究のテーマを選ぶ際にも、観光は身近で、かつ社会的に意義のあるテーマとして非常に人気があります。実際、情報処理学会や電子情報通信学会といった大きな学会の全国大会を見ても、「観光」というキーワードが本当によく出てくるようになりました。

KDDIさんのような情報通信企業からこうしてNextcom特集企画のお話をいただいたことも含めて、ようやく「観光と情報」というテーマが、世間的に「人権を得た」と言いますか、市民権を得て、本格的に注目されるようになったのかな、という感慨がありますね。

加藤:「人権を得た」、面白い表現ですね。しかし、それだけ皆さんが無意識のうちに、観光と情報を掛け合わせたサービス、例えば地図アプリや予約サイトなどを利用するようになったことの裏返しでもあるのでしょうね。

一方で、私が、地方自治体に詳しい方のお話として「自治体が観光に手を出すと、その自治体はいよいよ危ない」という揶揄を聞いたこともあります。いわゆる「金太郎飴」のように、どこも同じような施策に補助金がついて、数年経つと廃れてしまう、という光景を目の当たりにしてきたからです。しかし、観光情報学会で議論されている内容は、そうした紋切り型とは全く異なり、未来を感じさせるものでした。

松原先生:そこが、データと情報科学のアプローチがもたらす変化なのだと思います。かつての観光施策がうまくいかなかった一因は、勘や経験に頼らざるを得ない部分が大きかったからかもしれません。しかし今、我々は膨大なデータを分析し、人の流れやニーズを客観的に捉える手段を持っています。

例えば、スマートフォンの位置情報データ、交通機関の乗降データ、宿泊施設の予約データ、SNS上の口コミ、さらにはAIによる画像認識で街の混雑状況や観光客の属性まで分析できるようになりました。こうした多種多様なデータが整備されてきたことで、研究者から見ると、観光は非常に魅力的な分析対象になっているのです。情報科学の力で、かつてのような「劇薬」ではない、持続可能で効果的な観光施策を生み出せるのではないか。その期待感が、多くの研究者をこの分野に惹きつけているのだと思います。

多様な利害を調整する「学」のハブ機能

加藤:データと分析手法が揃ったことで、情報科学の研究者にとって観光が魅力的なフィールドになっている、という話は非常によく理解できました。ただ、実際に社会実装を考えた場合、観光には自治体、交通機関、ホテル、商店、そして地域住民と、本当に多くの関係者(ステークホルダー)がいて、それぞれの利害の調整が非常に難しいというイメージがあります。その中で、大学や学会といった「学」はどのような役割を担えるのでしょうか?

松原先生:おっしゃるとおり、観光はステークホルダーが非常に多く、複雑です。そして、ビジネスである以上、基本的には皆「儲けたい」わけです。それは当然のことなのですが、それぞれの利益追求がぶつかり合ってしまうことが多々あります。データの提供一つとっても、「誰がそのデータで利益を得るのか」といった話になりがちです。

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京都橘大学工学部教授、情報学教育研究センター長を務める松原先生

極端な例では、自治体同士でさえ利害が対立します。隣接する自治体同士で観光客の奪い合いのようになっているケースは珍しくありません。観光客からすれば、行政の境界線など意識していないのに、自治体の視点では「うちの自治体に利益をもたらしてほしい」という発想が先行してしまう。

加藤:その具体的な例を、もう少しお伺いできますか。

松原先生:例えば、オーバーツーリズムに悩む京都市と、京都府の関係が分かりやすいでしょう。京都市は、清水寺や嵐山といった特定の場所に観光客が集中しすぎるのを避けるため、市内の他のエリアに観光客を「分散」させたいと考えています。しかし、京都府の立場からすれば、観光客が京都市内だけで完結せず、宇治市や北部の丹後地域といった市外へ「周遊」してもらう方が、府全体の経済効果は高まります。京都市のオーバーツーリズムが緩和され、府内の他の地域が潤えば、Win-Winではないかと府は考えます。

ところが、京都市にしてみれば、市内の観光客が宇治市に流出するのは、単純に利益が市外に出ていってしまうことを意味します。市内の、例えばこれまであまり観光客が訪れなかった場所に来てほしい、という思惑があるわけです。このように、広域連携を考える上でも、基礎自治体と広域自治体の間には、微妙な利害の対立構造が存在するのです。

加藤:なるほど、非常にわかりやすい例です。そうした複雑な利害関係の中で、アカデミアはどのように機能するのでしょうか。

松原先生:まさに、その「利害の複雑さ」こそが、我々アカデミアが貢献できるポイントなのです。我々のような大学や学会は、特定の企業の利益や行政の立場に縛られない、中立的な存在です。だからこそ、各ステークホルダーが納得する形でデータを公平に扱い、異なる組織の「ハブ」になることができます。

営利とは一線を画した立場から、「このデータとこのデータを突き合わせたら、純粋に何がわかるだろう?」という課題解決に挑戦できる。これこそが、我々の大きな存在価値だと考えています。実際に、観光情報学会に所属する研究者の多くは、それぞれの地域で観光振興に関する委員会の委員などを務めており、そうした場で調整役を担っています。北見工業大学の桝井文人先生が、北見市やオホーツク全体の観光をなんとかしたい、という地元の相談に乗っているように、研究者が地域と一体となって課題解決に取り組む。学会が、そうした全国各地の知見や事例を共有するプラットフォームになっているのです。

加藤:学会が、利害を超えて様々な主体をつなぐネットワークの結節点になっているわけですね。それは企業にはできない、非常に価値のある役割だと感じます。

(次回に続く)

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松原先生(左)とNextcom編集長加藤(右)

松原 仁 Hitoshi Matsubara
京都橘大学 工学部 教授/情報学教育研究センター長
1986年、東京大学大学院工学系研究科博士課程修了。同年、通商産業省電子技術総合研究所(現・産業技術総合研究所)に入所。将棋をはじめとする人工知能研究の先駆者として知られ、世界的なロボット競技大会「ロボカップ」の設立にも尽力。公立はこだて未来大学教授、東京大学大学院教授を経て、2024年より現職。現在は情報学教育研究センター長を務める。コンピュータ将棋協会会長、元人工知能学会会長、元ロボカップ日本委員会会長