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わたしはルーシー:恐竜と猿人と本人確認と (第3回) アパトサウルスに聞く、近未来のアイデンティティー
前回は、現代における本人確認となりすましや偽造、環境変化に先手を打った島嶼国のアイデンティティー確保の取組みについて見てきました。日常の生活空間が変化してきたことで個人識別の方法も変わってきましたね。
さて、最終回の今回は、近未来のアイデンティティーです。デジタル空間とリアルの生活空間を行き来する時代のアイデンティティーとはどのようになるのでしょうか?
ルーシーにはさっぱり見当がつきません。
■アイデンティティーは脳と意識に宿るか
脳で念じるだけで機械を動かすBMI(ブレイン・マシン・インターフェース)は、実用化の段階を迎えています。体の大半が機械化(義体)される時代になっても、脳が生きていれば、どんなに体がサイボーグ化されても人間として生きられる、つまり、意識としてのアイデンティティーを保てるのでしょうか。仮に今日、巨大隕石が地球に落下し、人類が絶滅(あらゆるアーカイブも消滅)したとして、数千万年後、数億年後に現れる知的生命体は、人間をどのように分類し、肉体の想像図を描くのでしょうか。頭部、或いは脳を除いて機械化された義体に機能の大半を委ねた人類が(脳や神経系が残りにくい)化石として発見された場合に、人類として扱われるのでしょうか。
「アイデンティファイできる(identifiable)」要素の一つとしての「頭部」の重要性の話をしましょう。
■ブロントサウルスの自問自答
6,600万年前の巨大隕石の落下が引き金になったと言われる大絶滅により、大半の恐竜は鳥類を除いて姿を消しましたが、化石として発見される個体の地道な分類作業は今もなお続いています。第1回でお話した通り、昭和の恐竜図鑑に掲載されていた「ブロントサウルス」は、今では「アパトサウルス」と称されていますが、名称変更の背景に何があったのでしょうか。
古生物学者オスニエル・マーシュは1877年と1879年に相次いで発見した巨大な竜脚類の化石を別属の恐竜と考えて、それぞれ「アパトサウルス」「ブロントサウルス」と命名。その後、1903年に別の研究者が“ブロントサウルスとアパトサウルスは同属であり、命名規則により「アパトサウルス」を保存名とすべき”と発表しましたが、その論文はあまり注目されませんでした。そのため「アパトサウルス」は一般には定着せず、その後も図鑑もメディアも学名としては無効な「ブロントサウルス」と呼称し続け、有名な博物館でさえ「ブロントサウルス」として全身骨格を展示し続けました。

細長い馬面のような形が特徴的。
更にややこしいのが、「頭骨問題」。アパトサウルスの頭骨は20世紀に入っても長らく発見されず、やむを得ず、近縁種(別属の)「カマラサウルス」の頭骨レプリカを、ブロントサウルス(本当は「アパトサウルス」)の頭骨として展示してきました。展示されていた恐竜は「私は一体何者なのか?」と自問自答していたことでしょう。首から下のブロントサウルス(アパトサウルス)なのか、頭脳を宿したカマラサウルスなのか?
その悩みも、待望の「アパトサウルス頭骨化石」が発見されて一件落着。1990年代に入って晴れて本来の顔(頭骨)が載ることになりました。

鼻先は短く全体的に丸みを帯びた形が特徴的。
「ブロントサウルス」の名前も次第にフェードアウトし、今では「アパトサウルス」が定着。現在、「ブロントサウルス」の名前で「カマラサウルス」の頭部を乗せた「アパトサウルス」を展示するような博物館[1]は無いでしょう。
それでも迷走を続けるアパトサウルス、2015年に“やはり「ブロントサウルス」と「アパトサウルス」とは別属であった”とする最新の研究発表があり、今後、懐かしの「ブロントサウルス」の名前が復活を遂げるかもしれません。
ちなみに、「アパトサウルス」とは、「騙すトカゲ、欺くトカゲ」の意。もちろん、命名者も恐竜自身も悪意はありません。

その足元にはかつてアパトサウルスの頭部として代用されていたカマラサウルスの頭骨が展示されている。

■近未来のアイデンティティー
恐竜の種の特定においても、詐欺防止の本人確認手続きでも、「顔(頭部)」は大事。とはいえ、見た目で人(対象物)の素性や本性はわかりません。たとえ体の一部が機械化されても、本人は本人。大半が取り換え可能な義体化の未来が到来しても、本人性(アイデンティティー)を決定付けるのは、外形的な容姿や顔でもなく、脳内に宿る意識そのものになるのでしょう。
ツバルのような環境変化の危機に瀕する島嶼国や、紛争地域において国家存続の危機に瀕する政府が、国家主権をデジタル空間に依拠するような時代、或いは脳内(シナプス)で処理される信号がデジタル空間に結び付く近未来において、本人性と土地(住所・住居)との紐づけはどこまで意味を持つのでしょうか。「なりすまし」による詐欺(騙し)の手口の高度化と防護措置・本人確認措置の高度化は、リアルとデジタルそれぞれの舞台において、捕食者と被捕食者が互いに擬態で相手の目を欺くように、肉食恐竜と草食恐竜の互いの進化のように、永遠にイタチごっこを繰り返すのかもしれません。その攻防は、人間同士の騙し、騙される関係だけではなくなるでしょう。AIの自律化に伴うAI自体の行動の適正性(真正性)が問われ、人間がAIに欺かれるリスクの中で、「ホンモノ」とは何かという根源的な問いと向き合う未来が待っているのかもしれません。
<エピローグ>
さて、3回にわたり、過去、現在、未来のアイデンティティーを旅してきました。
生命の進化、人類の起源、個人の特定は、DNAが鍵を握っています。人類はアフリカ起源との説が有力ですが、母親から子に受け継がれるミトコンドリアDNAを遡ると、約16万年前の母系の共通祖先としての女性「ミトコンドリア・イブ」に辿り着くと言われています。もちろん、たった一人の女性が全人類の祖先というのは誤解で、約16万年前の当時にも、ミトコンドリア・イブ以外にたくさんの女性も、男性もいました。
わたしはルーシー。ミトコンドリア・イブより更に遡る約300万年前に生きた、みなさんの遠い祖先です。
では、人類だけでなく、全ての動物や植物、バクテリアやウイルスの共通祖先まで遡ると、どこに辿り着くのでしょうか。約6,600万年前に姿を消した恐竜から、数億年前のカンブリア時代の三葉虫やアンモナイト、更に生命の起源まで遡れば、約40億年前の地球に最初に現れた生命体・単細胞生物「LUCA(ルカ):Last Universal Common Ancestor(最終普遍共通祖先)」に至ります。
ルカ(LUCA)と私「ルーシー(Lucy)」、呼び名は似ていますねぇ。Lucyの方は化石発掘の際、調査隊が繰り返しビートルズの名曲「Lucy in the Sky with Diamonds」を流していたことに由来、とされていますが、命名者は神の最初の御業「光あれ(ラテン語:lux sit)」(創世記)も意識していたのかもしれません。地球が誕生したのは46億年前で、宇宙が誕生したのは138億年前。ビッグバン以来、宇宙に広がった星々のかけらや生命の「素材」は、遠い宇宙の遥か彼方で地球のような環境を生み出し、知的生命体を含む様々な生物が存在する可能性は否定できません。
そのような知的生命体に探知・発見されることを期待して、人類は1972年と1973年に打ち上げた宇宙探査機パイオニア10号・11号に、地球の位置や人類(ホモ・サピエンス)の男女の姿を示した金属板を取り付けました。これは、探査機が単に「探査する」だけでなく、宇宙のどこかに存在するかもしれない知的生命体にメッセージを「伝える」ことを目的としている、つまり「通信」手段として金属板を宇宙に放ったことを意味します。

現在世界中で行われている電波を使った地球外知的生命体探査活動(SETI: Search for Extra Terrestrial Intelligence)に比べると、物理的な探査機と金属板が知的生命体に「捕獲」される可能性は極めて低いかもしれませんが、その後1977年に打ち上げられた探査機ボイジャーの「ゴールデンレコード」(世界の55の言語や様々な音楽、動物の鳴き声等を録音)と共に、壮大なロマンを感じるメッセージですね。

何万年・何億年かかるかもしれない遠い未来、探査機が遥か彼方の知的生命体の手元に届くころには、人類を含む地球上の生命体は、その姿・形を変えているかもしれません。また、遠い未来に金属板を分析し、人類を「特定(identify)」することになる知的生命体は、今この瞬間も、遠く離れた場所で、みなさんとは全く異なる姿・形をした「属」(恐竜系のディノ・サピエンス:知恵のある恐竜?)の生物として、みなさんと同じように逞しく、必死に、「騙し(欺き)・騙され(欺かれ)、識別・認証(identify)する」攻防を高度な文明の中で繰り広げているかもしれません。
【執筆者プロフィール】
⼭本 雄次 KDDI 株式会社 シニアディレクター 渉外・広報副本部⻑ 兼 渉外統括部⻑
早稲⽥⼤学政治経済学部経済学科卒
1990 年 国際電信電話株式会社 ⼊社
2001 年 KDDI 株式会社(合併に伴う社名変更)
2020 年 渉外統括部⻑、2023 年より現職

[1] 実際、上野の国立科学博物館の地下2階に常設展示されているアパトサウルスの巨大な全身骨格には、カマラサウルスではなく本来のアパトサウルスの頭骨が載っています。そしてその足元には、カマラサウルスの頭骨が展示されているのですが、これは偶然なのかどうか・・。