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ICT・データ活用は「観光」をどう変えるか ③
前回に引き続き、AI研究をリードしてきた京都橘大学の松原仁教授に伺いました。今回が最終回です。
(2026年1月29日 京都にて。聞き手:Nextcom編集長 加藤尚徳)
通信業界への期待
加藤:「観光×防災」という視点、そして平時と有事を分断しない「フェーズフリー」という考え方は、通信事業者にとっても非常に重要な示唆を与えてくれます。その視点に立ったとき、通信業界に対して、具体的に期待されることは何でしょうか。
松原先生:まず何よりも、安定的で強靭な通信ネットワークと、それに加えて「電源」の確保です。これは当たり前のようで、実は非常に切実な問題です。今やスマートフォンは、情報収集から安否確認、決済、そして家族や友人との連絡まで、あらゆる機能を担う生命線です。そのスマートフォンの電源が切れることは、現代人にとって「死」を意味すると言っても過言ではありません。
特に、多くの人が集まる観光地や、災害時の避難所において、誰もが確実にネットワークに接続でき、いつでも充電できる環境を、社会インフラとして整備することの重要性は、いくら強調してもしすぎることはありません。万博でも電源確保が問題になりましたが、これは観光や防災における根源的な課題です。
加藤:おっしゃるとおりインフラの強靭化は、我々の使命として日々取り組んでおります。その上で、通信事業者が持つリソースの面で、何か期待されることはありますでしょうか。
松原先生:はい、データ面では非常に大きな期待があります。ぜひお願いしたいのが、通信キャリアを横断したデータ連携と、より詳細なデータの提供です。
現在、我々研究者が人流分析を行う際、各通信キャリアが提供する携帯電話の位置情報データを利用することがあります。しかし、大きな課題として、各社のデータのフォーマットがバラバラであることが挙げられます。研究の現場では、より正確な全体像を掴むために、複数のキャリアのデータを統合(ガッチャンコ)したい、というニーズが常にあります。ところが、フォーマットが違うために、その作業に膨大な手間がかかるのが実情です。もし、キャリア間で協力し、ある程度フォーマットが統一されれば、研究の進展は格段に加速するでしょう。
加藤:なるほど、データの標準化ですね。おそらく、データを提供する我々の側には、他社と連携するという発想自体が薄いのかもしれません。自社のデータだけで十分な分析ができる、と考えてしまっている。研究者の方々の視点は非常に参考になります。
松原先生:もう一つ、さらに踏み込んだ期待があります。それは、単なる地点の混雑度を示す「ヒートマップ」のようなデータだけでなく、「どこから来て、どこへ向かったか」という、人の移動の連なりを示す「周遊データ」の提供です。
観光研究において本当に知りたいのは、「清水寺が混んでいる」という事実だけでなく、「清水寺に来た人は、次にどこへ行くのか?金閣寺なのか、それとも祇園なのか?」「その移動にはどれくらい時間がかかっているのか?」といった、行動の連鎖です。本来、通信事業者は、個人が端末を保持したまま移動するログを把握されているはずなので、原理的にはそうした周遊データを取り出せるはずです。もちろん、プライバシー保護などの課題は重々承知の上ですが、もし匿名化された周遊データが研究目的で利用できるようになれば、オーバーツーリズム対策や、新たな観光ルートの開発、公共交通の最適化など、社会課題の解決に絶大な効果を発揮するでしょう。
加藤:周遊データ、まさに我々が今、技術的・制度的な課題を検討する必要があると考えているテーマです。研究という中立的な領域で、社会貢献を目的としてそうしたデータを活用していただく、というのは、我々にとっても一つの目指すべき方向性だと感じます。

おわりに:フロンティアとしての観光研究
加藤:本日は、情報科学の視点から見た観光研究の魅力と可能性について、非常に示唆に富むお話をありがとうございました。通信事業者が持つデータを社会課題解決のためにどう活用していくか、大きな宿題をいただいたと感じています。最後に、これからの観光研究の展望と、Nextcomのようなメディアに期待することをお聞かせください。
松原先生:観光は、情報科学だけでなく、社会科学、防災、経済、さらには歴史や文化まで、あらゆる分野が交差する「知のフロンティア」だと考えています。私が専門とする情報学も、スポーツやゲームなど、様々な分野と掛け合わせることで新たな地平を切り拓いてきましたが、観光もその非常に有望な一つです。
多様なバックグラウンドを持つ研究者が、それぞれの専門知識や技術を持ち寄り、観光というフィールドで応用し、そこで得た知見をまたそれぞれの専門分野に持ち帰る。こうした「知の循環」が、この分野のダイナミズムを生んでいます。例えば、自然言語処理の専門家が、観光分野でのSNS分析に新たな可能性を見出し、研究の幅を広げていく。あるいは、私のように、たまたま函館や京都といった観光地に赴任したことをきっかけに、この奥深い世界に足を踏み入れる者もいます。
加藤:先生ご自身も、様々な分野に「越境」されている印象があります。
松原先生:そうかもしれません(笑)。面白いテーマがあれば、自分の専門と少し違っても、とりあえず手を出してみるタイプなので。観光情報学会には、幸いなことに、そういうタイプの研究者が多い気がします。だからこそ、学会は健全な活気を保ち、多様な議論が生まれるのでしょう。
半分冗談、半分本気で言うのですが、観光情報学会に入ると、出張の理由に「観光情報の調査のため」と書けば、どこへでも行ける、というメリットもあります(笑)。学会の大会が、奄美大島や北見といった観光地で開催されることも多い。それは、その土地の研究者が幹事を務めているという理由もありますが、やはり皆、観光が好きなのでしょうね。
加藤:研究者の「好き」という探求心が、研究の原動力になっているわけですね。
松原先生:その通りです。趣味の世界を研究に昇華して、沖縄の大学にポストを得て移住してしまった研究者もいます。自分の「好き」や「やりたい」という純粋な探求心が、学問として昇華され、キャリアに繋がっていく。観光研究は、そうした研究者にとってのある種の「楽園」のような側面も持っているのかもしれません。
我々情報科学の研究者は、データとAIという新しい「羅針盤」を手に入れました。この羅針盤を手に、この複雑で魅力的な「観光」という大海原をどう航海していくのか。その航海の先には、まだ誰も見たことのない新しい発見や社会の姿が待っているはずです。
Nextcomのようなメディアには、ぜひ、このフロンティアに挑戦する人々や、そのスリリングな航海の様子を追いかけ、読者に伝えていってほしいと願っています。そして、その先にスポーツやゲームといった、また別のフロンティアも広がっていますよ。
加藤:はい、先生の周りには面白いテーマがたくさんあることを、本日改めて確信しました。スポーツ、ゲーム、そしてeスポーツと、ぜひ追いかけさせていただきたいと思います。本日は誠にありがとうございました。

松原 仁 Hitoshi Matsubara
京都橘大学 工学部 教授/情報学教育研究センター長
1986年、東京大学大学院工学系研究科博士課程修了。同年、通商産業省電子技術総合研究所(現・産業技術総合研究所)に入所。将棋をはじめとする人工知能研究の先駆者として知られ、世界的なロボット競技大会「ロボカップ」の設立にも尽力。公立はこだて未来大学教授、東京大学大学院教授を経て、2024年より現職。現在は情報学教育研究センター長を務める。コンピュータ将棋協会会長、元人工知能学会会長、元ロボカップ日本委員会会長