マスプロダクトがヒットしづらくなった
前回のコラムでは、マスプロダクトがヒットしづらくなった理由を大局的に振り返った。その際、生活者のニーズ別に、世の中の商品を便宜的かつ簡易的に3つに分け(図表1)、各領域でマスプロダクトが生まれづらくなった主な理由を考察していった(図表2)。
ヒット受難の時代の新しい潮流、キーワードは「体験」
今回は、このマスプロダクト受難の時代の中での成功事例に着目しようと思う。近年の新しい潮流の1つとして見られるのは、「体験」が伴う商品への支持だ。各領域を順番に追っていく。
①生活必需領域:極上トーストのある生活というワンランク上の体験
生活必需品は既に世の中に行き渡っている。しかし体験が伴う商品には今も顧客からの支持が集まる。たとえば、バルミューダのトースター「The Toaster」。機能をそぎ落とし、極上のトーストに的を絞ったことで、税込価格27,940円[1]という価格にも関わらず、トースターという超コモディティ商品の中で突出した成功を収めた。2021 年 12 月末時点で累積販売台数は150万台に上る。
そして、この高級トースター領域にチャンスありと、続いたのがパナソニックだ。2021年2月に「ビストロNT-D700」を発売(税込実勢価格27,500円)した。バルミューダのトースターがスチームを使ってパンをもっちりと焼くのに対し、こちらは遠赤外線と近赤外線の2種類のヒーターを用いることで、パンの表面をこんがり焼きつつ中心部もしっかり温める。これにより厚切りのパンや冷凍パンであっても極上トーストを体験できる。現在も品薄が続いているという[2]。これら商品が共通して提供するのは、衣食足りた時代のワンランク上の体験だろう。
② 大衆的な趣味領域:スマートフォンで代替不可能な提供価値を
この領域では、スマートフォンがあらゆる機能を取り込み、専用機器が売れなくなった背景がある。ここでヒットを狙うなら、スマートフォンに代替できない価値が必要になるだろう。
多くの専用機器が販売台数を落とす中、家庭用ゲームは大健闘している。市場規模の推移を見ても、家庭用ハード・ソフトは規模を維持しており、カメラ市場に見られたような急落はない(図表5)。大画面による没入感、専用コントローラーによる操作性などは、スマートフォンゲームでは実現できない体験価値だ。
任天堂が2017年に発売したNintendo Switchの世界累積販売台数は1億2,255万台(2022年12月)[3]。ソフトの販売数でも、「マリオカート8 デラックス(2017)」が5,200万本、「大乱闘スマッシュブラザーズ SPECIAL(2018)」が3,044万本、「あつまれ どうぶつの森(2020年)」が4,159万本とコンスタントに大ヒットを生んでいる。
また、プロダクトではないが、スマートフォンに代替されない体験という観点では、映画館ビジネスの動向も特筆に値する。映画鑑賞も多くの人に共通する趣味だ。映画館ビジネスも、スマートフォンや各種動画ストリーミングサービスに押されて業績を落としているのかと思いきや、そんなことはない。こちらも大健闘だ。映画館の興行収入や入場者数は、東日本大震災と新型コロナウィルスの影響を受けた年以外は、この20年間落ちていない(図表6、7)。これも、映画館での鑑賞体験が、スマートフォン・PC・TVでの視聴体験とは全く異なるからだろう。
③その他の趣味領域:単体ヒットよりもリピート率向上のための体験価値向上を
この領域は、多様な趣味に細分化されるため、個々の規模は小さくなり、必然的にメガヒットが起こりづらいのであった。ゆえに、ここでは単体商品のヒットを狙うことよりも、客単価やリピート率を上げることが重要となる。
キャンプ用品のスノーピークがそれを実践している。図表8はスノーピークの売上推移だ。キャンプ体験の需要増もあり、売上は10年で約8.5倍に成長している(2012年:約36億円、2022年円:約307.7億円)。
一方、商品単体で見ればヒットの規模はやはり小さい。2018年の発売以来、完売と再入荷を繰り返しているヒット商品「エントリーパックTT」の、2022年度の商品売上高は4.1億円だ[4]。この年の同商品の価格は57,200円(税込)であったことから、単純な推定販売数は大体7,000個となる。やはり①や②の領域とは事情が異なる。
しかし、スノーピークは体験価値を高めることで顧客のリピート率を高めている。特に同社は顧客とのつながりを重視しており、それゆえにファンビジネスとも呼ばれる。たとえば、1998年より毎年国内各所で開催されるスノーピークウェイという人気イベントがある。スタッフと顧客が一緒に一泊二日のキャンプをするイベントであり、毎年4,000〜5,000人の顧客が参加する。そこでは、会長兼社長の山井太(とおる)氏をはじめとする幹部、さらには経理や工場のスタッフも参加し顧客と直接コミュニケーションをとる。また、そこで実施されるワークショップやイベントを通して、顧客同士の交流も生まれる。これらも顧客にとっては価値ある体験だ。こうしてスノーピークには濃いファンが増えていき、その人たちがスノーピークの別の商品を買い求める。山井氏がこれまでに一緒にキャンプをした顧客の数は2017年時点で10万人に上るという。現在もこのイベントは、参加申し込み多数のため抽選制で開催されている。
衣食足りた時代に「体験」を
マスプロダクトがヒットしづらくなった理由を踏まえつつ、各領域での近年の成功事例を「体験」というキーワードで紐解いてきた。
「体験」には人が集まる。以前、アート関連のコラムでも取り上げたように、近年は体験型のデジタルアートに人が集まっている。また、金沢21世紀美術館の突出した成功要因の1つにも、体験が伴う立体作品群や、建築空間自体の体験があった。
生活必需品が世の中に行き渡り、スマートフォンやオンラインサービスが普及したことで、ひと昔に比べれば格段に便利な時代になった。だからこそ、利便性とは異なる体験の価値が高まっているのかもしれない。引き続き「体験」を切り口に商品やサービスを見ていこうと思う。
KDDI総合研究所コアリサーチャー 沖賢太郎
◼️関連コラム
なぜマスプロダクトはヒットしづらくなったのか(前編)(2023-02-28)
https://rp.kddi-research.jp/atelier/column/archives/1167
鑑賞から体験へ〜デジタルアート体験が若者たちを集める(2022-11-25)
https://rp.kddi-research.jp/atelier/column/archives/970
なぜ金沢21世紀美術館は国内トップクラスの集客力があるのか〜美術館の定石の逆を攻めて大成功(2023-02-13)
https://rp.kddi-research.jp/atelier/column/archives/1152
◼️D2C関連レポート
マスプロダクトがヒットしない時代のD2C – part2 - 〜国内D2Cビジネスや既存企業のD2C転換への示唆(2021/08/23)
https://rp.kddi-research.jp/article/RA2021015
マスプロダクトがヒットしない時代のD2C (Direct to Consumer)(2019/08/26)
https://rp.kddi-research.jp/article/RA2019015
◼️参考文献
[1] 2022年2月に27,940円に値上げ。それまでは25,850円。
[2] 日経スタイル「2021年上期ヒット 家電はパナソニック高級トースター」(2021.05.21)
[3] 任天堂 ゲーム専用機販売実績
[4] スノーピーク2022年4Q決算発表資料