Facebookが「230条」の改正を提案


Facebookのマーク・ザッカーバーグCEOが「230条」を「思慮深く」改正するよう提案した。

3月25日に開催される下院エネルギー・商業委員会の公聴会でFacebook、Twitter、Googleの各CEOが、コロナワクチンと2020年大統領選挙に関する誤情報・偽情報について証言をすることになっているが、それに先立ち、下院が各CEOのオープニングステートメントを公表した。

その中で、ザッカーバーグCEOの発言が特筆に値すると、Engadgetが伝えている。同氏が「230条」(1996年通信品位法)の改正を提案するような発言をしたからだ。

「230条」はソーシャルメディアを含むインターネットサービスのプロバイダーが違法コンテンツに関して責任を負わないというルールを定めたもの。これを改正するということは、責任を負うことを受け入れたのか。

同氏は、「230条」の原則は現代でも通用するが、この法律ができた25年前に比べるとインターネットは大きく変わっているので、議会がこれを国民の利益になるように「思慮深く」改正することにはメリットがあると述べた。

一定の違法コンテンツに関するプラットフォームの免責については、その拡散を防ぐために対処できる事業者の能力に応じたものにすべきであると述べた。

プラットフォームに免責を与えるのではなく、違法なコンテンツを特定して削除するための「十分なシステム」を導入していることの立証を義務づけるべきであるとした。

また、特定のコンテンツがそのシステムをくぐり抜けてしまったとしてもプラットフォームは責任を負わないようにすべきだとも述べた。1日に何十億件も投稿があるプラットフォームでは完全に網羅するのは不可能だとしている。

さらに、何をもって「十分なシステム」だと定義するかは、一律に定めるのではなく、プラットフォームの規模を考慮して第三者機関が定めるべきだと述べている。

それによりFacebookのような潤沢な資源を持たない小規模なプラットフォームや新規参入組にとっての公平性を維持することになるとして、度量の広さをアピールしながら、改正の仕方によっては競争が阻害されるとして、注意を喚起している。

つまり、下手に改正すると、Facebookよりも小規模なプラットフォームや新規参入者が困ることになるというところを強調して、軽率に改正すべきではないとのメッセージを伝えたもの。それが「思慮深く」の意味するところだ。

同誌は、この提案がもし議会で採用されれば、Facebookは現状を大きく変える必要はないだろうが、「230条」に対する懸念を多少なりとも解消するのに役に立つかもしれないと、好意的にコメントしている。

ただ、これはやはり、Facebookにとって都合のいい議論をしているだけで、何としてもFacebookには責任がかからないようにしようという魂胆が見え見えだ。

それに、なぜ「230条」の改正が議論されているかという問題の本質については議論を避けている。

問題の本質は、ソーシャルメディアが恣意的な検閲により投稿削除やアカウント停止などの暴挙に出ていることについて、これでは中立的なプラットフォームとは言えないので免責を享受する資格はないという点だ。

この暴挙のために国民の自由がいかに侵害され、国民の利益がいかに毀損されていることか。この点を「十分に」かつ「思慮深く」議論すべきだ。