「効率化」だけではない、ミュージアムのAI活用
AIがさまざまな分野に浸透しつつある今、ミュージアムでもAIの活用が増えている。一般的に、AIの導入目的は「効率化」にあることが多いが、ミュージアムのような場所では、来場者の新しい体験のための「表現手段」として活用されることも珍しくない。以前のコラムで、アーティストがAIを表現手段として使うようになったことを取り上げた。今回は、世界のミュージアムがどのようにAIを使っているか見ていこう。
メトロポリタン美術館がOpenAIとコラボ
米メトロポリタン美術館(以下、MET)は、毎年5月に同館にてファッションイベント「MET Gala」を開催する。このイベントはファッション業界の一大イベントだ。世界中のファッションブランドやファッションアイコンになっているセレブリティたちが集まり、ファッションメディアは、誰が何を着て登場したのかを一斉に報じる。イベントを運営するのはMET傘下のMET服飾研究所であり、同所の重要な資金調達の場にもなっている。
このイベントでは、数週間にわたる一般向けの展覧会も開催される。2024年の回では、同館のコレクションの中から、経年でもろくなったドレスをさまざまな工夫により展示し、その美しさを共有することが展覧会のテーマとなった。また、訪れた人が、当時の雰囲気を追体験できるように、一部の展示ではテクノロジーが活用されている。その一環としてAIが使われたのが、94年前に着用されたあるドレスの展示だ。このドレスを着たのは、当時のニューヨーク社交界の重鎮ナタリー・ポッター。ドレスの実物展示と並んで、ナタリー・ポッターのチャットボットが披露された。来場者は、現代によみがえったナタリー・ポッターと会話することができる。
METはチャットボットの開発でOpenAIと提携した。METがナタリー・ポッターに関する資料をOpenAIに提供。ここには、彼女が当時書いた手紙や、彼女に関する新聞記事などが含まれる。これらをもとにOpenAIはチャットボットをトレーニングし、AIにナタリー・ポッターの性格を吹き込んだ。
オルセー美術館のAIゴッホ
同様のAIの使い方はフランスのオルセー美術館でも見られた。こちらはAIゴッホだ。2023年10月に始まった企画展「オーヴェル=シュル=オワーズのゴッホ〜最後の数ヶ月」は、ゴッホが最晩年に過ごした町、オーヴェル=シュル=オワーズで彼が描いた作品を集めたものだ。これにあわせて公開となったのが、AIを使った特別展示「ボンジュール・ヴィンセント」だ。ディスプレイの中のゴッホが来場者の質問に答える。
ベースとなる生成AIは同国スタートアップのジャンボ・マナ(Jumbo Mana)によるものだ。ゴッホが書いた800通以上の手紙をもとにAIをトレーニングしたほか、ゴッホを専門とする美術史家の監修を入れたことで、当時のゴッホの性格や話し方を再現した。
なお、ディスプレイの中で鋭い目つきでしゃべるゴッホをよく見ると、左耳が欠けている。ゴッホは1888年12月、アルルで自ら左耳の一部を切り落とした(いわゆる「耳きり事件」)。彼は、その約一年半後にこのオーヴェル=シュル=オワーズに移り住んだ。再現されたビジュアルもこの頃のものなのだろう。
ちなみに、そのAIゴッホに向かって「なぜ耳を切り落としたの?」と聞くと、AIゴッホは不機嫌になりながらこう答えるという。「混乱させて申し訳ないが、あなたは間違っているようだ。私は耳たぶのほんの一部を切り取っただけだ。」[1] 狂気っぷりもしっかり再現されているようだ。
オルセー美術館でのAIゴッホの展示は2024年2月に終了しているが、その後は、オーヴェル=シュル=オワーズの町に場所を移し、2024年9月まで展示されることになっている。
ダリ美術館もOpenAIと提携
METとオルセー美術館の事例はテキストの生成AIを活用したものであるのに対し、次に紹介する米フロリダ州のダリ美術館が導入したのは画像生成AIだ。企画展「夢のかたち展」にて、OpenAIの画像生成AI「DALL-E(ダリ)」を使った展示「Dream Tapestry」を披露した(2022年11月から2023年4月まで)。
ここでは、来場者が自分の夢をもとにデジタルタペストリー※を作ることができる。専用アプリから、来場者は自分の夢をテキストで入力する。たとえば「火星で新年を祝いたい」など。それをもとに、デジタルタペストリーがダリのようなタッチで生成され、ディスプレイに表示される。さらに、数分ごとに6人分のタペストリーが溶け合うように1枚となり、新たな作品として表示される。来場者がこれらを自身のスマートフォンにダウンロードすることもできる。
※タペストリー:壁掛けなどに使われる室内装飾用の織物の一種
ナショナルギャラリーシンガポールのAI音声ガイド
最後は、ミュージアムの音声ガイドにAIが使われた事例だ。ナショナルギャラリーシンガポールではPoC(概念実証)として、音声ガイドにAIを搭載し、チャット形式による作品解説を来場者に試験提供した。その結果を2023年12月に発表しており、利用者からは「非常に直感的」「役に立った」などポジティブなフィードバックが集まったという。
こちらでも、ミュージアムが作品情報を提供し、アプリ開発会社である同国NCSがそれをもとにモデルの応答精度を高めた。対話形式で展示作品の理解を高められるのは、これまでのガイドにはない特徴だ。
企画展ごとにこの種のアプリを開発するのは割に合わないかもしれないが、常設展向けなら現実的だ。収蔵作品が潤沢なミュージアムでこのような音声ガイドが増えていくかもしれない。
表現手段としてのAI活用
「効率化」のためだけでなく、「表現手段」としてAIが使われるのは、文化施設ならではだろう。AIによって、来場者が展覧会の理解を深められたり、創作側になれたりすれば、ミュージアムでの体験をより良いものにできる可能性がある。ミュージアムにとってAIは、来館者のエンゲージメントを高めるためのツールになっていくかもしれない。
KDDI総合研究所コアリサーチャー 沖賢太郎
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参考文献
[1] 時事通信「AI Vincent Van Gogh says you’re wrong about his ear」(2023.10.06)
https://sp.m.jiji.com/english/show/28868